勝浦城
ナビゲーションに移動
検索に移動
勝浦城(かつうらじょう)とは、現在の千葉県勝浦市浜勝浦にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
この城は現在の勝浦湾の東側に突き出た八幡岬一帯で、北と西と南の3方は懸崖で海に臨み、北東には山をめぐらせた天然の要害だったという。
この城は平安時代中期の天慶年間(938年 - 947年)に当時の上総守であった興世王により築城されたといわれている。室町時代になると上総国東部に勢力を持っていた真里谷氏の属城となっていたが、戦国時代の天文8年(1539年)に安房国を支配していた里見氏の家臣・正木時忠が攻略して入城し、居城とした。天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐で勝浦城は徳川家康の家臣・本多忠勝と植村泰忠の軍勢に攻められて落城する。当時の勝浦城主だった正木頼忠の娘・於万は当時14歳であり、美貌で知られた女性だったため、関東の新たな主となった家康の側室となり、紀伊藩主で紀伊徳川氏の祖となる徳川頼宣と、水戸藩主で水戸徳川氏の祖となる徳川頼房を産んだ。
その後、勝浦城には植村泰忠の陣屋が置かれたが、万治2年(1659年)に植村泰勝が串浜に館を移したため、勝浦城は廃城となった。
アクセス[編集]
- 勝浦駅から車で15分。