初陣
初陣(ういじん)とは、武士の男子が初めて合戦に参加して経験することである。初陣を果たすことで武士としては初めて一人前と認められる。現在ではスポーツ関係、政治関係などで初めて出ることなどを初陣と称する場合もある。
概要[編集]
初陣とはどの武士も1度はだいたい経験したことがあるもので、通常は12歳から15歳の少年期から青年期に移行する頃に行なわれる。ただし、諸事情があって12歳より前に初陣したり、余りに遅すぎる20歳以上で初陣したりする例もある。
初陣の場合はさすがに初めての経験なので、後に名を残すことになる英傑や名将でも、初陣で何かができたというのはほとんど無い。また、初陣はあくまで「初めての武勲を飾る」ことが目的のため、その初陣が負け戦であると、その後の人物の経歴に傷がついたり部下に不安がられたりする。そのため、大抵は初陣は楽勝できそうな小規模な合戦が選ばれる場合が多い。
有名な織田信長は14歳のとき、天文16年(1547年)に今川義元の所領を攻めている。ただし、今川義元と直接対決したわけではなく、今川領に放火して翌日には居城に引き返した程度である。
徳川家康は永禄元年(1558年)、17歳の時に今川義元の命令で信長方の寺部城を攻めて勝利している。
上杉謙信、前田利家や浅井長政は14歳、伊達政宗は15歳で初陣している。特に謙信は病弱な兄・長尾晴景の代理として僧籍から還俗していきなり兄の代理として総大将を務めており、そして兄に反対する勢力に大勝利してその実力を内外に示している。
初陣が最も早いのは毛利元就の次男・吉川元春で、数え12歳、満11歳で初陣している。これは父・元就に元春が自ら志願して行なったものとされており、また毛利氏の居城・吉田郡山城が尼子晴久に攻められて危急存亡の秋を迎えていたという事情もある。
最も遅いと見られるのが、四国の覇者となった長宗我部元親で、22歳で初陣している。元親は少年期は女性のようであり、「姫若子」と呼ばれて大人しい性格に見られており、父の長宗我部国親からその将来を不安視されて初陣が遅れたという。ただし、初陣を果たした元親は大いに活躍してその評価を一変させ、「鬼若子」と呼ばれて名将と評価されるようになった。