伯太町
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伯太町(はくたちょう)は、かつて島根県能義郡に存在した町である。現在は安来市の一部となり消滅している。
概要[編集]
昭和27年(1952年)11月、安田村・母里村・井尻村が合併して伯太村が誕生する。2年後の昭和29年(1954年)に赤屋村を編入し、さらに2年後の昭和31年(1956年)に町制を施行して、ここに伯太町が誕生した。
この町の中心地区は母里という。江戸時代の寛文6年(1666年)には松江藩の支藩である母里藩が1万石で立藩して陣屋が置かれ、現在まで白壁や黒坂塀の家並が当時の面影を残している。
伯太町の主要産業は林業であるが、梨を中心とした果樹栽培や椎茸栽培、乳牛などの酪農や集団茶園なども盛んに行なわれている。母里には12ヘクタールのチューリップ畑も存在し、集団栽培面積では西日本一を誇る。毎年4月中旬には伯太チューリップ祭が開催されている。また伯太茶と称される茶の栽培面積も56ヘクタールを誇り、生産量では島根県随一を誇っている。
平成2年(1990年)、若者定住圏創造事業として「上の台緑の村」整備事業がスタートする。これを機に自然を生かした町づくりが始められた。
特産品に母里焼があるが、これは昭和63年(1988年)に島根県ふるさと伝統工芸品に指定され、伯太町民俗資料館に膨大な数の明治時代の町内絵図と共に母里焼が展示されている。
平成16年(2004年)10月1日、安来市・能義郡広瀬町と合併し、新しい安来市となり、伯太町は消滅した。