井伊直虎
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井伊直虎(いい なおとら、生年不明-1582年9月12日)とは、安土桃山時代に活躍した井伊氏当主、井伊氏の女領主、僧侶である。お虎とも呼ばれる。
生涯[編集]
井伊谷城で産まれ、10代半ば?頃に井伊谷城城主となる。そして1544年、政略結婚により井伊直親と結婚した。
しかしこの事に反発した井伊氏筆頭の小野政直は井伊氏の権力を小野家のものとする為、小野政次を直虎と婚約させる事を企む。だが婚約はしたが正式に結婚することは失敗。この事を井伊氏の策略と言いがかりをつけ、直親の父・井伊直満と叔父・井伊直義を利用し偽の謀反を起こした。大殿である今川義元により直満と直義は殺害された。
この出来事に恐怖を感じた直親は、当時武田信玄の領地であった信濃に逃亡した。直親は今後一切直虎の元には戻ってくる事は無く、信濃で別の女性と婚約した。この噂を聞きつけた直虎は出家し、龍潭寺へと進んだ。授けられた法名は次郎法師。直親は、1555年[1]、5年程の時を経て井伊谷城へと戻ったが、1563年に今川氏真に誘い出され殺害された。その後は井伊氏当主となった後、1575年から徳川家康に仕えるようになり、直親の遺児の虎松(後の井伊直政)を後見した。1582年9月12日に直虎死去。享年は不明。