井上正就刺殺事件
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井上正就刺殺事件(いのうえまさなりしさつじけん)とは、江戸時代前期の寛永5年8月10日(1628年9月7日)に江戸城内で発生した刃傷事件である。江戸城内で初めて発生した刃傷事件として知られる。
概要[編集]
井上正就は第2代征夷大将軍で、当時は大御所であった徳川秀忠に仕える江戸城西の丸老中であった。秀忠の信任が厚く、土井利勝に次ぐ幕閣の実力者であった。
寛永5年(1628年)8月10日午後2時頃、江戸城西の丸殿中の宿直者の詰所において、目付の豊嶋信満が脇差で井上を突き殺した。信満もその場に集まった番衆によって滅多切りに殺害された。当事者が2人とも死んでしまったため、事件の真相は謎である。ただ、井上と豊嶋には面識はあり、井上の娘を外様大名の大藩である筑前国福岡藩主の黒田忠之(黒田孝高の孫・黒田長政の子)が養女に迎えることになっており、それを豊嶋が仲立ちしていたのが井上が一方的に破談して豊嶋の面目が丸つぶれになったこと、信満に加増と堺奉行昇進の話があったが井上がそれに反対して取りやめになったことを恨んだためとも言われている。謀反などという理由では無く、個人的な遺恨が理由と当時の幕府は判断した。
このため、事件の翌日である8月11日、信満の嫡男・豊嶋継重は切腹となったが、他の一族に対しては連座を適用しなかった。これは当時、まだ乱世が終わって間もなかったため戦国の威風がまだ残されており、そのため法治政治より武士の意地を大事にするということが優先されたためと見られている。