目付
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目付(めつけ)とは、現在でいう監察官である。ここでは江戸時代の目付について説明する。
概要[編集]
- 江戸幕府
主に旗本から登用され、役高は1000石。
第2代征夷大将軍・徳川秀忠の時代、江戸幕府に目付という役職を設置する。当初は大目付の権限が絶大なこともあり、役職としては閑職に近かった。
しかし、第8代征夷大将軍・徳川吉宗は享保17年(1732年)に目付を定員10名と定めて旗本や御家人の監察、江戸城内における所々の礼法の指揮、消防の監視、判元見届け、御日記の作成指揮などの権限を与えた。また、配下として徒目付や小人目付などを使って情報の収集に当たらせている。
幕末の動乱期に入ると目付職はさらに重要視されて定員が30名に増員され、さらに遠国奉行や禁裏付、普請奉行などの実務能力を要求される要職に昇進するための登竜門となった。大目付は幕末になると完全に名誉職化していたので、目付が事実上、大目付の本来の職務を執行するようになった。
- 諸藩
幕府以外の諸藩にも、藩士の行動を監察する目付の役職があった。