九鬼隆常
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九鬼 隆常(くき たかつね、正保3年(1646年[1]) - 元禄11年4月1日[1](1698年5月10日))は、丹波綾部藩の第2代藩主(在任:延宝2年11月16日(1674年12月13日) - 元禄11年4月1日(1698年5月10日))。
生涯[編集]
父は初代藩主・九鬼隆季[1]。正室は石川廉勝の娘。継室は保科正景の娘。継々室は牧野富成の養女[1]。養子に九鬼隆直。官位は従五位下大隅守[1]。
延宝2年(1674年)11月16日、父の隠居により家督を継ぐ[1]。しかしその年に風水害が起こり、延宝8年(1680年)にも大洪水をはじめ2度の大火が起こるなど、天災が度重なった[1]。元禄11年(1698年)4月1日、参勤交代途上の三河池鯉鮒(現在の愛知県知立市)にて死去した[1]。享年53[1]。跡を養子の隆直が継いだ。法号は仁岳了賢乾徳院[1]。墓所は綾部の隆興寺[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『三百藩藩主人名事典3』藩主人名事典編纂委員会 編、1987年。新人物往来社