九鬼隆季
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九鬼 隆季(くき たかすえ、慶長13年(1608年[1]) - 延宝6年5月30日[1](1678年7月18日))は、丹波綾部藩の初代藩主[1](在任:寛永10年3月5日(1633年4月13日) - 延宝2年11月16日(1674年12月13日))。水軍の将として有名な九鬼嘉隆の孫である。
生涯[編集]
父は志摩鳥羽藩主の九鬼守隆で3男[1]。正室は土方雄重の娘[1]。継室は井上正就の娘[1]。兄弟に良隆、貞隆、隆重、久隆、娘(九鬼隆徳室)、久昌院(戸田忠能正室)、娘(水野勝俊正室)、芳樹院(松平勝隆正室)、娘(九鬼直隆室)、娘(越賀隆春室)、娘(九鬼吉政室)。子は九鬼隆常、娘(三枝守輝正室)、娘(秋田季久正室)。官位は従五位下、式部少輔[1]。
鳥羽生まれ[1]。父の守隆が死去した際、その遺領である5万6000石を弟の久隆と共に争った[1]。そして幕命を受けて寛永10年(1633年)3月に丹波何鹿郡・天田郡に27村を与えられて綾部藩主となる[1]。綾部下市場に居館を構えたが、慶安3年(1650年)に全焼したため、新たに上野の台地に城館を設置して城下町を築いた。延宝2年(1674年)11月16日に子の隆常に家督を譲って隠居[1]。その4年後に71歳で死去した[1]。法名は空山了本大極院[1]。墓所は鳥羽の常安寺[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『三百藩藩主人名事典3』藩主人名事典編纂委員会 編、1987年。新人物往来社
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