中川重政
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中川 重政(なかがわ しげまさ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の一族で家臣。
生涯[編集]
『織田系図』によると、織田信長の叔父・織田信次の孫で、織田刑部大輔の子と伝えているが、明らかではない。
信長には古くから仕えていたようで、永禄11年(1568年)9月に足利義昭を奉じての上洛に従い、次いで伊勢国の北畠具教攻めに従う。元亀元年(1570年)5月12日、信長が居城とする前から既に注目していた安土に在番を命じられた。元亀3年(1572年)3月、近江国志賀へ出陣のため、明智光秀と共に砦の普請を担当している[1]。
なお、上洛の時から信長には京都の市政を任されており、たびたび織田家の奉行人連署状、信長の副状なども発給しているが、元亀年間を最後に行方が途絶えている。子に光重がおり、彼は前田利家の娘婿となり、その子孫は加賀藩の藩士として続いた[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。