中山田氏
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中山田氏(なかやまだし)とは、日本の氏族で武家である。中山田泰吉・中山田秀政兄弟などで知られている一族である。
概要[編集]
土佐国香美郡中山田(高知県香美郡野市町中山田、現在の香南市)を発祥とする。土佐国の国衆だった香宗我部氏が長宗我部元親の弟・香宗我部親泰が養子入りして事実上乗っ取られた際、香宗我部氏の当主だった香宗我部秀通がその養子入りに強硬に反対したため、秀通の兄で親泰を養子入りさせることで長宗我部氏の後ろ盾を得ようとしていた香宗我部親秀は秀通を殺害した。この際、秀通の遺児2人(泰吉・秀政)は一時的に逃亡し、後に親秀により庇護され、実家の当主となった香宗我部親泰に仕えてその偏諱を得て、泰吉と名乗った。また、姓も香宗我部から中山田に居住したことから改姓した。この2人はなかなかの人物で、親泰をよく支えて活躍したが、文禄2年(1593年)に親泰が死去すると、後継者の次男・香宗我部貞親がわずか3歳のため、兄弟がその後見となって事実上の香宗我部氏の執政となった。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで長宗我部盛親が西軍に属したことから戦後に改易となると、香宗我部貞親も長宗我部の一族ゆえに土佐国から去ることになる。この際、泰吉と秀政は土佐国に残ってそのまま天寿を全うしている。その子孫は中山氏と改姓して存続した[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 森岡「日本名字家系大事典」P403