下総山川藩
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下総山川藩(しもうさやまかわはん)は、江戸時代前期のわずかな期間だけ下総国に存在した藩である。藩庁は山川陣屋。現在の茨城県結城市に存在した。
概要[編集]
慶長9年(1604年)に松平定勝の3男・松平定綱が山川に5000石を与えられ、陣屋を置いた。慶長14年(1609年)に定綱は1万石を加増され、1万5000石で大名に列したことから、山川藩が立藩した。定綱は元和2年(1616年)、前年の大坂の役に対する戦功を評価されて1万5000石をさらに加増されて3万石で常陸国下妻藩に移封された。
代わって水野忠元が徳川秀忠から新たに3万石を与えられて入った。忠元は元和3年(1618年)、近江国蒲生郡に5000石を加増された。忠元は元和6年(1620年)に45歳で死去し、跡を嫡男の水野忠善が継いだ。忠善は寛永12年(1635年)に1万石加増の4万5000石で駿河国田中藩に加増移封され、山川藩は廃藩となり、その所領は幕府領、旗本領となった。
歴代藩主[編集]
松平(久松)家[編集]
1万5000石 譜代
- 定綱(さだつな)
水野家[編集]
3万石→3万5000石 譜代