上杉憲定 (上杉憲方の子)
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上杉 憲定(うえすぎ のりさだ、天授元年/永和元年(1375年[1]) - 応永19年12月18日[1](1413年1月20日)は、室町時代前期の関東管領・上野・伊豆の守護大名。山内上杉家出身。父は上杉憲方。兄に憲孝、房方。弟に憲重。子に憲基・佐竹義人。官位は安房守、右京亮[1]。法号は佐々入道・長基[1]。
生涯[編集]
応永元年(1394年)に父が死去したため、翌年に家督を継いで上野・伊豆の守護となる[1]。応永12年(1405年)10月8日に関東管領に任命され、鎌倉公方の足利満兼、その没後は足利持氏を補佐した[1]。憲定は満兼時代に悪化した室町幕府との融和・関係改善に努めた[1]。応永18年(1411年)1月16日に関東管領職を上杉禅秀に譲って辞職し、応永19年(1412年)12月18日に死去した[1]。享年38[1]。
法号は光照寺大全長基[2]。