上杉三代日記

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上杉三代日記(うえすぎさんだいにっき)とは、戦国時代史料である。

概要[編集]

著者・成立年代[編集]

著者、成立年代不詳。『川中島五箇度合戦之次第』と重なる部分が多いため、これ以降に書かれたものである可能性が高い。奥書に元禄年間に存在していたらしい記述があることから、江戸時代中期に成立した後代史料と推定される。

別称は『上杉軍記』(うえすぎぐんき)。

内容[編集]

上杉三代日記とあり、3代とは長尾為景とその息子・上杉謙信、そしてその養子上杉景勝を指す。この3代の関連資料や記録を併せたものである。書き方は1つ書きで、全164項目で書かれている。つまり、為景と謙信の間の長尾晴景は代数として数えられていない。

  • 長尾為景の事績(4項目、永正6年(1509年)から天文7年(1538年)まで)。
  • 上杉謙信の事績(41項目、天文5年(1536年)から天正6年(1578年)まで)。
  • 御館の乱(5項目。天正6年(1578年)から天正7年(1579年)まで)。
  • 上杉景勝の事績(45項目。天正8年(1580年)から元和元年(1615年)まで)。
  • 上杉謙信景虎諸士系図人(50項目)。
  • 信州士、謙信を頼み越後へ引越し候分(5項目)。
  • 上杉謙信日記・副題「信州川中島五箇度の合戦の事」(14項目)。

史料の信頼性は疑わしい。『北越耆談』や『川中島五戦記』と同じように第4回川中島が弘治3年(1557年)8月に発生したとある。また、三代記という割には、為景の事績や関連資料が少ない。景勝の事績については死亡時までは記録されていない。また、景勝の嫡男・定勝の記録が景勝の記録に混入されているなど、混乱がある。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]