川中島五戦記

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川中島五戦記(かわなかじまごせんき)とは、戦国時代史料である。

概要[編集]

武田信玄上杉謙信の5度にわたる川中島の戦いにおいて、上杉氏側の伝承を記録したものである。『信州河中島五戦記』と内容が同じなので、どちらかがパクった可能性がある。

成立年代や著者は不詳。ただし、成立年代については『北越耆談』(寛文元年(1661年)成立)や『北越太平記』(寛永20年(1643年)成立))などと記述がかなり似ていることから、恐らく江戸時代前期の後代史料だと推定される。

上杉氏の伝承をまとめたものであるため、謙信を賞賛する記述が非常に多い。例えば、『北越耆談』と同じように信玄の同母弟である信繁を討ち取ったのは村上義清ではなく、謙信自身であるとしている上で、その際に謙信が用いたとされる車懸の戦法について、あるいは信繁を討ち取る際の太刀に関すること、また、車懸ではなく、「車返し」という戦法であるとして紹介していたりする点である。ただ、末尾に『上杉輝虎注進状』を後世の偽作であると断じていたりしている。

年代の誤りが非常に多く、史料的な価値は乏しい。例えば、最も激しい戦いが行なわれた4回目を弘治3年(1557年)としている。しかも、五戦記とあるから普通は川中島の5度における合戦を詳細に記録していると思うだろうが、実際にはそこまで詳細に記してはいない。それと、後代史料だから信頼性を付け加えたかったためなのか、「口伝」「伝曰」「私に曰」など、とにかく誰かから聞いたとか伝承からとかを文書のあちこちに用いている。

甲陽軍鑑』をライバル視していたのか、「之(川中島五戦記)を甲陽軍鑑の作者知らざるか、記し置かず」とあり、少なくとも軍鑑より後代の史料であることは確実である。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]