三日市陣屋
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三日市陣屋(みっかいちじんや)とは、現在の新潟県新発田市上館に存在した陣屋である。江戸時代に越後三日市藩の藩庁が置かれた。
概要[編集]
江戸幕府の第5代征夷大将軍・徳川綱吉の下で権勢を振るった側用人の柳沢吉保は、宝永6年(1709年)に綱吉が死去すると失脚して隠居する。この際、吉保は5男の時睦に自らの所領から1万石を与えて三日市藩を立藩させた。三日市藩主は江戸に定府の藩主で、三日市は陣屋支配がなされたが、水害などが原因で館村に移転している。安永9年(1780年)には陣屋が焼失している。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟に参加して明治政府と敵対したが、やがて新政府に帰順した。現在、三日市陣屋の跡地には新発田市立七葉中学校の校地となっており、土塁の一部のみが現在にその遺構を伝えている。