三日市藩

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三日市藩(みつかいちはん)は、江戸時代中期から明治時代初期にかけて越後国に存在したである。藩主家は譜代大名柳沢氏。石高は1万石。藩庁三日市陣屋。現在の新潟県新発田市三日市に存在した。

概要[編集]

享保9年(1724年)、甲府新田藩主の柳沢時睦が越後国三日市藩に移封されたことにより立藩した。時睦は柳沢吉保の息子である。三日市上館に藩庁を構えた。藩庁は北国街道が加治川に交わる三日市に設けられており、新発田城にはわずか3キロほどの地点であった。

この藩は越後国黒川藩に隣接しており、藩領はおよそ30村。南は加治川を経て新発田藩に接していた。歴代藩主は従五位下に叙せられているが、1万石程度の小藩であり、しかもこれは表高の話で実高はせいぜい5500石ほどだったという。このため、藩財政は早くから火の車であった。

明治元年(1868年)の戊辰戦争のとき、三日市藩は新発田藩と行動を共にした。明治2年(1869年)、版籍奉還により柳沢徳忠は三日市藩知事となる。明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県により三日市藩は廃藩となって消滅した。

歴代藩主[編集]

柳沢家

1万石、譜代

  1. 柳沢時睦(ときちか) 従五位下。式部少輔。
  2. 柳沢保経(やすつね) 従五位下。弾正少弼。
  3. 柳沢信著(のぶあき) 従五位下。式部少輔。
  4. 柳沢里之(さとゆき) 従五位下。信濃守。
  5. 柳沢里世(さとよ) 従五位下。信濃守。
  6. 柳沢里顕(さとあき) 従五位下。弾正少輔。
  7. 柳沢泰孝(やすたか) 従五位下。弾正少輔。
  8. 柳沢徳忠(のりただ) 従五位下。信濃守。

幕末の領地[編集]