三井辨雄
三井 辨雄(みつい わきお、1942年11月24日 ‐ 2021年4月2日)は、日本の政治家、実業家、薬剤師。衆議院議員(4期)、国土交通副大臣(菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣)、厚生労働大臣(第15代)などを歴任し、青山会(樽床伸二グループ)代表世話人を務めた。報道等では新字体で三井 弁雄(みつい わきお)の表記も用いられる。
来歴[編集]
民主党に入党。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、選挙区調整により比例北海道ブロック単独で立候補し初当選(北海道3区からは荒井聰が立候補し、石崎岳を破り当選)。2003年の第43回衆議院議員総選挙では北海道2区に国替えし、自民党の吉川貴盛を破り当選した。2005年の第44回衆議院議員総選挙では吉川に約2,300票差まで詰め寄られるも振り切り、3選(吉川も比例復活)。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、自民党の吉川に比例復活も許さない大差で圧勝し、4選。当選後、民主党国会対策委員長代理に就任した。
2010年9月、菅第1次改造内閣で国土交通副大臣に任命される。同年10月、樽床伸二を中心に結成された「青山会」[1]の代表世話人に就任した。
2011年1月、菅第2次改造内閣で国土交通副大臣に再任。同年9月、野田内閣発足に伴い国土交通副大臣を退任し、民主党政策調査会長代理に就任。
2012年6月、消費税増税を含む社会保障・税一体改革関連法案の採決では賛成票を投じ、小沢一郎ら反対派が民主党を離党して結成した国民の生活が第一には参加しなかった。
同年10月、野田第3次改造内閣の厚生労働大臣として初入閣。薬剤師免許保持者では初の厚生労働大臣である。
同年12月、第46回衆議院議員総選挙にて自民党の吉川に敗北、重複立候補した比例北海道ブロックでも比例復活ならず落選。
2014年の第47回衆議院議員総選挙には健康上の理由で出馬しない意向を示し、党を除名された松木謙公(維新の党)を後継候補として指名した[2]。この選挙では三井らが支援した松木と党北海道連が推薦した池田真紀で事実上の民主分裂選挙となったが、松木が比例復活、池田は落選した。
2021年4月2日午前2時23分、呼吸不全のため、札幌市内の病院で死去[3][4]。78歳没。
脚注[編集]
- ↑ 「樽床グループ(青山会 せいざんかい)発足」 樽床伸二 2010年10月10日
- ↑ “三井辨雄・元厚生労働相、不出馬を表明…衆院選 : 読売新聞”. 読売新聞. (2014年11月19日) 2017年10月29日閲覧。
- ↑ 民主党政権で厚生労働相 三井辨雄元衆院議員死去 78歳 - NHK 2021年4月2日
- ↑ 三井辨雄氏死去 元厚生労働相 - 時事ドットコム 2021年4月2日