ムサシボウダイヤ

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ムサシボウダイヤ
画像募集中.png
欧字表記Musashibo Dia
品種アングロアラブ(アラブ血量29.25%)
性別
毛色青鹿毛
生誕2002年6月8日(22歳)
抹消日2010年4月1日
ホーエイヒロボーイ
ホウワジュピター
母の父イムラツド
生国日本国旗.png日本北海道門別町
生産島瀬順一
馬主藤井順三
調教師高本友芳福山
競走成績
生涯成績67戦17勝
獲得賞金992万8000円

ムサシボウダイヤ: Musashibo Dia2002年6月8日 - )は、日本競走馬である。主な戦歴は福山アラブ大賞典 3着。

馬名の由来は、冠名+ダイヤモンド2022年1月現在「ムサシボウ」を冠する最後の競走馬である。父のホーエイヒロボーイ夕凪賞勝島賞などの勝ち馬である。

経歴[編集]

デビュー前[編集]

2003年、北海道で行われたセプテンバーセール アングロアラブ 1歳において168万円で藤井順三に落札された。

2歳(2004年)[編集]

2004年7月3日福山競馬場でデビューし3着。ムサシボウダイヤはその月のうちにあと2戦し(デビューから)3戦目に初勝利を飾った。その後8月に1回、9月に1回走った後10月のビクトリー特別にて通算2勝目を上げる。翌月以降のヤングCh、全日本2歳アラブ優駿では振るわなかった。

3歳(2005年)[編集]

2005年の初戦は1月2日に行われた若駒賞。7着と敗れるも次戦のベストテン特別では1着に返り咲いている。その後1月中に1戦した後5月まで休養を挟む。5月の1戦を経て迎えた6月の福山ダービー、10番人気のチュウオーバロンに敗れ6着。次戦のアラ系一般で1着を取ってからは翌年まで勝ち星に恵まれなかった。

4歳(2006年)[編集]

古馬になったムサシボウダイヤは1月9日の初戦以降3着以上を取り続けるという快進撃を見せる。この快進撃は2006年いっぱいまで続くこととなり、その結果この年に行われたレース、全17戦のうち1着9回、2着3回、3着4回という成績を残した(着外1回は1月9日のアラ系一般)。

5歳(2007年)[編集]

2007年の初戦は1月2日に行われた福山大賞典。ムサシボウダイヤにとって初の長距離(2600m)だったが、4着。級も昇級しA1クラスとなったこともあり昨年(4歳時)までの勢いは無くなってしまった。しかし依然入着する程度の力は残っており2月25日に行われた福山マイラーズカップではユノフォーティーンバクシンオーといった強豪の中5着と健闘。その後もコマを進め5月5日に行われたこいのぼり特別で5歳馬としての初勝利をあげる。その後もレースに出走し8月15日に行われた金杯ではフジノコウザンの7着と撃沈。翌月の福山市長賞で1着を取るもこれがこの年最後の勝ち星となる。なおこれ以降から12月までに3戦をするもベストリザルトは3着であった。

6歳(2008年)[編集]

初戦は1月6日、自身2回目となる長距離レース福山アラブ大賞典にて3着。その後のレースでは振るわなかったが3月30日の高森良樹エピローグにて1着。次戦福山さつき賞では9着と撃沈するも5月25日のひばり特別では2着と持ち直す。そして次戦の矢ノ島特別にて自身最後の勝ち星をあげる。その後は福山アラブマイラーズにてバクシンオーの4着、残暑見舞い特別にてイケノスリリングの3着と安定した入着を維持し9月28日に行われた馬肥ゆる秋特別での4着を最後に引退。

引退後の消息は不明。

血統表[編集]

ムサシボウダイヤ血統 (血統表の出典)

*ホーエイヒロボーイ
1985
黒鹿毛
父の父
ヒロタケ 1972
黒鹿毛
フクトミオー ホースニユース
サワトヨ
アンドロス セイユウ
カネミノル
父の母
ミスアキフジ 1975
栗毛
タガミホマレ ミネフジ
バイオレツト
クインボールド ライジングホース
スピードヒメ

*ホウワジュピター
1992
青鹿毛
イムラツド 1977
芦毛
Fayriland II Thailand
Florise III
Orsola Phaeton
L'Epau
母の母
ホウワトスター 1985
栗毛
トスター Star
Toscane
サーテインラツク カステイラツク
サーテインアサヒ


脚注[編集]

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外部リンク[編集]