ノヴィーク (駆逐艦)
ナビゲーションに移動
検索に移動
ノヴィーク(Новик)は、ノヴィーク級駆逐艦の一番艦。1926年7月13日からはヤコフ・スヴェルドロフ(Яков Свердлов)となった。
概要[編集]
ノヴィークはノヴィーク級駆逐艦の一番艦で、サンクトペテルブルクのプチロフ造船所で建造され、1913年8月29日に運用が開始された。艦名「ノヴィーク」は、1901年から1904年にかけて運用された防護巡洋艦「ノヴィーク」を記念して命名された。
第一次世界大戦初期、当艦はバルチック艦隊で唯一の近代的な駆逐艦であった。
兵装[編集]
- 主砲:オブホフ工場製60口径102mm単装砲 4基
- 対空砲:ランダー76.2mm高射砲 1基→2基 (1940年増設)
- 機銃:マキシム7.62mm機関銃 4基 →1930年代に全てDShK 12.7mm機関銃に換装
- 機関砲・対空砲:QF 1ポンド37mm機関砲 後艦橋に1基 →21-K 45mm対空砲に換装
- 魚雷発射管:450mm連装魚雷発射管 4基 →三連装魚雷発射管3基に変更
- 爆雷:4V-B、4V-M いずれか10発 →BB-1 8発または、BB-8 20発に変更
- 機雷
主な記録[編集]
- 1911年6月21日進水、バルチック艦隊の一員となった。
- 1912年5月17日、最初の試験によって得られた最高速力は35.8ノットで、当初の予定より0.2ノット遅かった。
- 1913年5月17日から約3ヶ月間、当時プロイセン(ドイツ)領だったシュチェチンでボイラーを中心に改装が行われた。
- 8月21日、海上公試で最高速力37ノットを記録。3時間の平均速度は36.82ノットで、試験は成功とされた。
- 8月29日、運用開始
- 第一次世界大戦
- 1914年8月19〜20日の夜、ドイツの軽巡洋艦アウクスブルクに魚雷4本を発射するも、命中なし。
- 10月18、23日と11月10日には、クライペダ付近への機雷敷設に参加し、敵艦数隻が機雷によって撃沈された。
- 1915年、ドイツ艦隊のリガ湾侵入阻止の為、イルべ海峡やリアパーヤなどバルト海各地で敷設活動に参加。
- 8月4日、機雷原を突破したドイツの駆逐艦「V99」、「V100」と交戦。主砲で損害を与えた。V99はその後触雷し、行動不能のため自沈。本艦には損害無し。
- 9月15〜21日、敵砲弾により損傷したたスクリューをドッグで修理
- 1916年6月、準同型艦「グロム」、「ポベディテル」と共にノルヒェーピング湾でドイツ船に対して魚雷を一斉発射、貨物船一隻を撃沈。
- 6月26日、ナイッサール付近の岩礁に17ノットで座礁。砕氷船「ピョートル・ヴェリーキー」によりヘルシンフォルスに曳航され、サンドヴィーク造船所で8月13日まで修理を受けた。
- 1917年5月、バルチック艦隊水雷戦隊の旗艦となる。
- 1926年7月13日、ヤコフ・スヴェルドロフ(Яков Свердлов)に改名。
- 1926年12月1日〜1929年8月30日、プチロフ造船所で上部構造と兵装を中心に大改装を受け、魚雷発射管は連装4基から三連装3基に変更された。
- 第二次世界大戦