ノヴィーク (防護巡洋艦)

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ノヴィーク(Новик (бронепалубный крейсер))は、ロシア帝国海軍防護巡洋艦である。

概要[編集]

ノヴィークは、1898年、ドイツのシーシャウ造船所で起工され、1901年から1904年までロシア帝国海軍で運用された防護巡洋艦。
最大速力は25ノットと、当時の巡洋艦としては高速だった。
艦名は、過去に運用されていた機帆走コルベット「ノヴィーク」にちなんで名付けられている。
1906年8月20日から、日本に鹵獲され大日本帝国海軍鈴谷」となった。

同型艦[編集]

同型艦に、ジェムチュク(Жемчуг)と、イズムルード(Изумруд)があり、これらはジェムチュク級防護巡洋艦である。ジェムチュク級は、ドイツ製だった本艦(ノヴィーク)をコピー生産して国産化したもの。

日露戦争とその後[編集]

ノヴィークは1904年2月8日、日本海軍による旅順港奇襲攻撃から生き延びた。 1904年8月10日黄海海戦に参加し、単独で逃走したが、樺太亜庭湾で日本の「千歳 (防護巡洋艦)」、「対馬 (防護巡洋艦)」に追い詰められ、艦長により自沈させられた。

その後、日本の手によって引き上げられ、横須賀海軍工廠で整備され、1906年8月20日「鈴谷」と命名。9月3日通報艦に分類された。
しかし、損傷が大きかったために完全な復旧とはいかず、最高速力は19ノットに低下していた。その後も何度か整備が行われたが、二重底に漏水するなど不具合がが多かった。
1912年8月28日、類別を二等海防艦に変更。1913年4月1日、除籍された。

関連項目[編集]