ニホンザリガニ
ニホンザリガニ | |
---|---|
分類 | |
界 | 動物界 |
門 | 節足動物門 |
綱 | 軟甲綱 |
目 | 十脚目(エビ目) |
科 | アジアザリガニ科 |
属 | アジアザリガニ属 |
種 | ニホンザリガニ |
名称 | |
学名 | Cambaroides japonicus (De Haan, 1841) |
和名 | ニホンザリガニ (日本蝲蛄) |
英名 | Japanese crayfish |
保全状況 |
ニホンザリガニとは、アジアザリガニ科に属するザリガニの一種である。
形状[編集]
体長は約4~7cmほどで、アメリカザリガニよりも小さい。
ハサミは大きく丸く、突起物や白い紋は無い。
額角は短く太い。
体色は通常、茶色だが、稀に青い個体が見つかる。
生態[編集]
北海道や青森県、秋田県北部、岩手県の沢や水路の中で、夏でも水温が20℃以下で、きれいなところに生息する。ザリガニの中で唯一、日本在来種である。
日光でも確認されているが移入とされる。秋田県大館市にある水量では1934年にニホンザリガニの生息地として国の天然記念物に指定されたが、60年代以降の開発により現在は殆どいない。
初冬に交尾して、春に卵を産む。寿命は約10年ほど。
落ち葉や小枝などの植物性のものを食べる。
人間との関係[編集]
かつては食用になっており、然別湖では湖岸のホテルで、甘露煮が「神代ザリガニ」として売られていた。洞爺湖では「ザリガニせんべい」が名物になっている。
名称[編集]
「ザリガニ」「ヤマトザリガニ」とも呼ばれ、かつては「シャリガニ」とも呼ばれていた[1]。
かつては本種を「ザリガニ」を呼んでいたが、多種と区別する為に、「ニホンザリガニ」と命名された。現在はアメリカザリガニをザリガニと呼ぶことが多い。
種小名は、『日本の』を意味する。
天皇とニホンザリガニ[編集]
1951年の大正天皇御大典の祝宴の献立に「ザリガニのポタージュ」があった。そのポタージュに使用されたザリガニは、同年8月に旭川師団の兵士が支笏湖で捕獲した日本ザリガニが使われている。
当御用邸の調理所近くには「ザリ蛄囲」という、ニホ ンザリガニを蓄用していたと言われている施設があった。
日光市にはニホンザリガニが生息している。この個体群は在来種説も存在したが、付着していたカムリザリガニミミズ、イヌカイザリガニミミズ、エゾザリガニミミズが北海道固有種であったため、否定された[2]。また当時、運ばれてきた個体の子孫ではないかと言われたが、平成に入ってから逃された可能性も捨てきれないとされる[3]。
減少[編集]
開発や外来種(アメリカザリガニ・ウチダザリガニ・アライグマ等)による捕食などにより、数が減少している。
1998年に水産庁、2000年に環境庁が絶滅危惧種に指定した。
環境省のレッドリストには「絶滅危惧II類」に指定されている。
ヤフオクでは、2010年~2017年には、年500匹前後しか取引されていなかったが、2018年になると1569匹に急増した[4]。
2022年8月29日にヤフオクでニホンザリガニを出品することが禁止になった[5]。
2022年12月20日、「特定第ニ国内希少野生動植物種」に指定することが閣議決定され、2023年1月11日に無事指定された[6][7]。
脚注[編集]
- 出典
- ↑ 一寸木 肇「ザリガニ類の和名における問題」、『CANCER』第10巻、日本甲殻類学会、2001年、 35-37頁、 。
- ↑ 川井唯史、大高明史「日光市で発見されたニホンザリガニ個体群の由来、および大正時代に北海道から本州に持込まれた個体に関する宮内庁公文書等に基づく情報」、『弘前大学教育学部紀要』第101巻、弘前大学教育学部、2009年3月、 31-40頁、 。
- ↑ 川井唯史、砂川光朗「「大正天皇のニホンザリガニ」についての新知見」、『CANCER』第19巻、日本甲殻類学会、2010年、 39-40頁、 。
- ↑ “ニホンザリガニ取引急増 外来種規制で需要、乱獲懸念”. www.nikkei.com. (2022年8月1日) 2023年12月22日閲覧。
- ↑ 矢田文; 小坪遊 (2022年8月29日). “ヤフオク、絶滅危惧種など出品禁止へ 4千種以上対象に自主規制”. www.asahi.com 2023年12月23日閲覧。
- ↑ “絶滅危惧種「ニホンザリガニ」を売買禁止 来年1月から 環境省”. newsdig.tbs.co.jp. (2022年12月20日) 2023年12月23日閲覧。
- ↑ “ニホンザリガニ売買禁止 閣議決定、絶滅危惧種”. www.sankei.com. (2022年12月20日) 2023年12月23日閲覧。