ドイツ国防軍

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ドイツ国防軍(どいつこくぼうぐん、独:Wehrmacht)とは、1935年から1945年までの間存在した武力組織である。陸軍・空軍・海軍の3つの下部組織で構成されていた。

誕生[編集]

1935年、ヒトラーのドイツ再軍備宣言に伴い、それまでのヴァイマール共和国軍進化させる形で誕生した。これにより徴兵制も復活し、兵士は「ドイツ国と民族の指導者であり、国防軍最高司令官であるアドルフ・ヒトラー」への忠誠宣誓を強制された。ヒトラーを「ボヘミアの伍長」と軽蔑していたドイツ帝国時代からの将軍たちはこれを嫌々受け入れる一方、軍備拡張に関しては熱烈に賛成した。

国防軍は国民総生産の20%にも及ぶ巨額の軍事費を投入され、世界屈指の軍隊へと成長。1939年時点での兵力は318万人に及んだ。余談だが、ヒトラーは国民による反乱を恐れ、スターリングラード攻防戦で大敗するまで本格的な徴兵動員は避けていた模様。

第二次世界大戦[編集]

ポーランドへのドイツ侵攻で第二次世界大戦が始まると、ドイツ国防軍はハインツ・グデーリアンの考案した電撃戦理論も相まって各地で連戦連勝。フランスギリシャオランダなど連合国を蹂躙した。しかし、1941年から始まった独ソ戦では大苦戦を強いられ、兵力を大幅に消耗。1944年に行われたソビエト連邦のバグラチオン作戦で壊滅的被害を被った。また、7月20日事件によって多くの軍人が粛清されたことも衰退に繋がった。

最後[編集]

1945年5月8日、国防軍最高司令部長のヴィルヘルム・カイテルが降伏文書に署名し、ドイツ国防軍は連合軍に降伏した。ニュルンベルク裁判で国防軍のトップが裁かれ、1946年を以て国防軍は正式に解体となった。

戦争犯罪[編集]

戦後、ドイツ国民の間でとある神話が囁かれるようになった。「親衛隊と異なり、国防軍はヒトラーの命令に従っただけのプロ集団で、戦争犯罪とも無関係だ」という、所謂「清廉潔白な国防軍」である。

確かに、ヒトラー暗殺計画の多くで国防軍将校が中枢を担っていたし、親衛隊の残虐行為を非難していたのも事実である。しかし、結論としてドイツ国防軍はソ連で住民虐殺や捕虜虐待を行っていた。ドイツ陸軍最高の頭脳ことエーリッヒ・フォン・マンシュタイン将軍もクリミアにおいてアインザッツグルッペンのユダヤ人虐殺に協力している。

有名な軍人[編集]