親衛隊 (ナチス)
ナチス親衛隊(SS)とはナチスの組織の一つでありドイツの退役軍人などが高官を務めていた。1945年のナチス・ドイツの敗戦とともに消え去った。
概要[編集]
もともとは1925年にナチス総統アドルフ・ヒトラーを護衛するために創設された組織である。そこから1929年にハインリヒ・ヒムラーが親衛隊全国指導者の役職に就き、急速に組織を拡大。1933年にヒトラー総統率いるナチスがドイツの政権を奪取すると親衛隊は政府と警察機関を一体化してまとめ様々な機関を作った。主な種類は保安警察(ゲシュタポと刑事警察)、秩序警察、親衛隊情報部(SD)、強制収容所など。1934年にはドイツ国防軍から武装化の許可を経て後の武装親衛隊となる親衛隊特務部隊を創設する。この際、特務部隊に入っていないものは一般親衛隊員と呼ばれるようになった。
第2次世界大戦が勃発すると武装親衛隊が主となりドイツ第3帝国占領下の地の占領政策や反ナチ派の弾圧・そしてアインザッツグルッペンによるユダヤ人の絶滅を目指すユダヤ人迫害(ホロコースト)を行った。そのため親衛隊は悪名高い組織として認められており戦後のニュルンベルク裁判などではこの組織が犯罪組織などと呼ばれ多数の親衛隊員が逮捕された。ちなみに今でも親衛隊員と分かれば逮捕される。
親衛隊とホロコースト[編集]
親衛隊を語るうえで最も外せないのがホロコーストとの関与だ。親衛隊はユダヤ人の迫害を担当していたことで有名でありアインザッツグルッペン(特別行動部隊)などが主にユダヤ人の迫害を担当していた。この部隊の指揮官は金髪の野獣や鋼鉄の心臓を持つ男と言われたラインハルト・ハイドリヒ長官である。彼らを主体としてホロコーストが行われており最終的には580万人のユダヤ人が犠牲になったとされている。
武装親衛隊[編集]
親衛隊の中には武装組織として武装親衛隊がある。彼らは90万人以上の兵力を有し38個の師団を持つ。またSS装甲師団などといった戦車部隊なども多く存在し、対ポーランド戦争からフランス戦・第2次世界大戦における各戦闘に参加している。またアインザッツグルッペンとも深いかかわりがあり、アインザッツグルッペンの兵士はほとんどが武装親衛隊員で構成されていた。
なお、武装親衛隊は正規軍であるドイツ国防軍から「軍隊未満の組織」と嫌われており、独ソ戦ではわざと激戦地に送られて激しく損耗してしまった。事情を知ったヒトラーが国防軍将校に注意しても、「警察が軍隊ぶっているだけだから死傷者が多いのは当然」とレスバされてしまい、総統は相当激怒したようである。ポーランド戦でも虐殺を行なった部隊が国防軍管轄地位域から追放されたりしている。
ニュルンベルク裁判[編集]
戦後、ドイツ第3帝国が敗戦するとニュルンベルク裁判において親衛隊は犯罪組織と呼ばれるようになり、多くの隊員や指揮官が死刑に処された。また今でも親衛隊員と認知された人間に関しては国籍を剝奪されドイツに強制送還されるなどしている。