ジョチ・ウルス
ジョチ・ウルスとは、現在のロシア・東欧方面を支配したモンゴル帝国の王朝である。「ジョチ」はチンギス・ハーンの長男、「ウルス」は「諸王家」を意味する[1]。一般的にはキプチャク・ハン国と言われている。
概要[編集]
この国はチンギス・ハーンの長男・ジョチを祖とする国家である。ジョチは長男であったが、チンギスからその出生を疑われて後継者として認められず、チンギスの行なった大西征の際にイルティシュ川以西の地を与えられた。これがジョチ・ウルスの起源である。
歴史[編集]
ジョチは父に先立って1224年に死去し、その家督は次男のバトゥが継承。このバトゥは優秀な軍人で、チンギス没後に跡を継いだオゴデイに従って1236年からの大規模なヨーロッパ遠征に参加し、ルーシー地方におけるロシア方面の諸都市を攻略・破壊して支配下に置いた。1243年にはボルガ河口のサライを拠点に定め、キプチャク草原(南西ロシア)とルーシを支配した。これがキプチャク・ハン国の名の由来である。なお、ジョチ・ウルスは黄金のオルドと呼ばれた「金帳汗国」とこれを宗主と仰ぐ「白帳汗国」・「青帳汗国」で構成され、キプチャク草原は直接支配を、ルーシに対しては諸侯を介した間接統治を行っている。
バトゥはヨーロッパ遠征で多大な功績を立て、モンゴル帝国における影響力はさらに増大したが、オゴデイの長男であるグユクとこの遠征の際に対立する。1241年、オゴデイが死去するとその後継者をめぐってグユクと徹底的に対立し、バトゥはトルイの長男・モンケを後継者に推挙したが、グユクを推すドレゲネの政治工作に一敗地にまみれる。だが、ドレゲネとグユクが相次いで没すると再度モンケを推挙して第4代皇帝に擁立し、バトゥはその後見人として権力を奮い、オゴデイ一門を徹底して粛清した。
しかし1257年にバトゥが死去すると、この王朝ではモンゴルお決まりの後継者争いが頻発する。さらに1259年には良好な関係を維持していたモンケが死去すると、モンゴル帝国継承戦争を経て第5代皇帝となったフビライと徹底して対立し、そのフビライを支持するイルハン朝とも対立し、この過程でジョチ・ウルスはオゴデイ・ハン国のカイドゥと手を結んでフビライと抗争を繰り返し、結果的にはフビライの実力の前に和睦するものの、モンゴル帝国の分裂に一役買うことになってしまった。また、13世紀末になるとノガイという重臣の専横により、ジョチ・ウルスの皇帝そのものが傀儡化されてしまい、ノガイの判断で皇帝が廃立されたりして内紛状態に陥るまでになる。これは最終的にノガイがトクタというジョチ・ウルスの皇帝に滅ぼされることで収拾され、14世紀前半にこの王朝は全盛期を迎えた。また同時にエジプトのマムルーク朝との交流により、この王朝は急速にイスラム化した。
14世紀後半になると今度はママイという権臣が現れてジョチ・ウルスは専横され、皇帝の廃立はその意思により行なわれた。ジョチ・ウルスの衰退を見たルーシ諸侯はこれを見て自立を目論見だす。そのような中でジョチ・ウルスにトクタミシュという英傑が現れ、彼は中央アジアで勢力を拡大していたティムールの支援を得てママイを滅ぼし、分裂していたジョチ・ウルスを統一し、さらに同国からの自立を目論んでいたモスクワ公国も破って再度の全盛期を築き上げた。しかし、トクタミシュは調子に乗ってティムールと対立し、その強大な軍事力の前に2度にわたって大敗し、再興した国家はティムールにより徹底的に蹂躙されることになる。やがてトクタミシュも殺され、15世紀中期になるとカザン・ハン国やクリミア・ハン国の独立、ルーシ諸侯の自立でジョチ・ウルスは四分五裂となり、1502年にクリミア・ハン国によって滅ぼされた。
ただし滅んだのは宗主国の金帳汗国であり、ジョチの子孫は小国に分裂して細々と生きながらえている。
歴代君主[編集]
- ジョチ・ウルスの当主
- ジョチ(1220年 - 1225年)…チンギス・カンの長男
- バトゥ(1225年 - 1255/56年)…ジョチの次男
- サルタク(1256年)…バトゥの長男
- ウラクチ(1256年?)…バトゥの子。
- ベルケ(1256年? - 1266年)…ジョチの三男。バトゥの弟。
- モンケ・テムル(1266/67年 - 1280年?)…バトゥの子トガンの子。
- トダ・モンケ(1281年? - 1287年)…トガンの子。モンケ・テムルの弟。
- トゥラ・ブカ(トレ・ブカ)(1287/88年 - 1291年)…トガンの子ダルブの子。
- ゴンチェク…トゥラ・ブカの弟
- アルグイ…モンケ・テムルの長男
- トゴリルチャ…モンケ・テムルの子
- トクタ(1291年 - 1312/13年)…モンケ・テムルの子
- ウズベク・ハン(1313年 - 1342年)…モンケ・テムルの子トゴリルチャの子。
- ティーニー・ベク(ティニベク・ハン)(1342/43年)…ウズベク・ハンの子。
- ジャーニー・ベク(ジャニベク・ハン)(1342/43年 - 1357年)…ウズベク・ハンの子。
- ベルディ・ベク(ベルディベク・ハン)(1357年 - 1360/61年?)…ジャーニー・ベクの子。
- クルナ(クルパ)(1358/59年 - 1359/60年?)…ジャーニー・ベクの子。ベルディ・ベクの弟。
- ナウルーズ(1358/59年 - 1360/61年)…ウズベク・ハンの未亡人タイトグリと結婚。
- ヒズル(1358年 - 1359/60年?)…シバン家
- テムル・ホージャ(1359/60年?)…ヒズルの子。
- オルド・マリク
- ケルディ・ベク(1360年 - 1362年)…ウズベクの子
- オルダ・ウルスの当主
- 金帳ハン国
- ジョチ
- バトゥ
- ベルケ
- サイン・ハン(モンケ・テムル)
- トダ・モンケ
- トクタ
- ウズベク…青帳ハン
- ジャーニー・ベク…青帳ハン
- ベルディ・ベク…青帳ハン
- ケルディ・ベク…青帳ハン
- ナウルーズ
- チェルケス…青帳ハン
- ヒズル…青帳ハン
- ムラート
- バザルチ
- サシ・ノカイ
- トグルク・テムル
- ムラード・ホージャ
- クトルク・ホージャ
- オロス
- トクタキヤ…オロスの子、白帳ハン
- テムル・ベク(テムル・メリク)(? - 1378/79年)…白帳ハン
- トクタミシュ(1380年 - 1399/1406年)…トイ・ホージャの子
- テムル・クトルク(? - 1399/1400年)…テムル・ベクの子、白帳ハン
- シャディ・ベク(1400年 - ?)…白帳ハン
- ボラト(1407/08年 - ?)…テムル・クトルクの子
- テムル(1410/11年 - 1411/12年)…ボラトの弟
- ジャラールッディーン(1409/11年 - 1412年)…トクタミシュの長男、青帳ハン、白帳ハン
- カリーム・ベルディ(1412年 - ?)…トクタミシュの次男
- キョペク(ケベク)(1412年頃 - 1424年頃)…トクタミシュの三男
- チェキレ(1413年 - 1414年)
- ジャッバール・ベルディ(1416年 - 1417/19年?)…トクタミシュの四男、青帳ハン
- サイイド・アフマド(1433/34年 - 1465年)…カリーム・ベルディの子
- ダルヴィーシュ(1414年 - 1419年)
- 大ムハンマド
- ?
- バラク(1419年 - 1428年頃)
- ギヤースッディーン…シャディ・ベクの子
- 小ムハンマド(1423年 - 1459年)…テムルの子
- 青帳ハン国
- トゴリルチャ…モンケ・テムルの子
- ウズベク(1313年 - 1342年)…トゴリルチャの子
- ジャーニー・ベク(1342/43年 - 1357年)…ウズベクの子
- ベルディ・ベク(1357年 - 1360/61年)…ジャーニー・ベクの子
- ケルディ・ベク
- オルダ・シャイフ…エレゼンの三男
- ヒズル
- フラファ
- テムル・ホージャ
- ムリード
- アズィーズ
- ハージー
- チェルケス
- トクタミシュ…白帳ハン
- ジャラールッディーン…白帳ハン
- ジャッバール・ベルディ
- 白帳ハン国
- サシ・ブカ
- エレゼン
- ムバーラク・ホージャ…エレゼンの長男
- チンバイ…エレゼンの次男
- オロス
- トクタキヤ
- テムル・ベク(テムル・メリク)
- トクタミシュ…青帳ハン
- テムル・クトルク…テムル・ベクの子
- シャディ・ベク
- テムル…テムル・クトルクの子
- ジャラールッディーン…青帳ハン
- ウルグ・ムハンマド
- チェキレ
- ジョチ・ウルス東部
- ムスタファー
- マフムード・ホージャ…カーン・ベクの子
- クユルチュク(1395年 - ?)…オロスの子
- バラク(1419年 - 1428年頃)…クユルチュクの子
- アブル・ハイル(1428年 - 1468年)→シャイバーニー朝へ
- シャイフ・ハイダル(1468年)…アブル・ハイルの子
- ジョチ・ウルス西部(大オルダ)
- カーディル・ベルディ…トクタミシュの子
- 大ムハンマド(1438年? - 1445年)
- ダウラト・ベルディ
- クチュク・ムハンマド(小ムハンマド)(在位:1423年 - 1459年)…テムルの子
- マフムード・ハン(在位:1459年 - 1466年?)…クチュク・ムハンマドの長男。→アストラハン・ハン国へ
- アフマド・ハン(在位:1465年? - 1481年)…クチュク・ムハンマドの3男
- ムルタザー…アフマドの長男
- サイイド・アフマド…アフマドの次男
- シャイフ・アフマド(在位:? - 1502年)…アフマドの三男
ジョチ・ウルス系の後継諸政権[編集]
- シバン家系諸政権
- トカ・テムル家系諸政権
ウルン・テムル系
キン・テムル系
- アストラハン・ハン国 1466年 - 1556年(イヴァン4世の侵攻によりアストラハンを放棄)
- 非チンギス・カン裔のジョチ・ウルス系諸政権
- ノガイ・オルダ - ジョチ家の重臣マンギト部族を核とする部族連合
- スーフィー朝 - ジョチ家の重臣コンギラト部族の政権
- コーカンド・ハン国 - シャイバーニー朝、アストラハン・ハン国に属しコーカンドを領有していたミン部族の政権
参考文献[編集]
中西豪「モンゴル騎馬軍団」〈歴史群像No.82〉学習研究社2007年4月1日発行。
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- Généalogie
- La Horde d'or et la Russie par Jean-Paul Roux, Directeur de recherche honoraire au CNRS.