三浦按針

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

三浦 按針(みうら あんじん、1564年 - 1620年)とは、江戸幕府の士分。航海士。出自はイギリス人で英名はウィリアム・アダムス

概要[編集]

慶長5年(1600年)にオランダリーフデ号日本に漂着。徳川家康に気に入られて屋敷と領地(相模国三浦250石)および日本名を与えられ、日本に航海術数学、砲術、天文学、造船技術などを伝えた。家康の外交顧問となり、手厚い庇護を受けた。

平戸オランダイギリスの両商館の顧問も兼任し、自らは朱印船を所有することも許されて海外貿易を行なった。屋敷は江戸だけでなく三浦や平戸にも与えられ、家康の命令で各地を往来したという。

元和6年(1620年)に平戸で病死した。享年57。墓地は定かではないが、昭和29年(1954年)になって崎方公園内に墓碑が建立された。

その他[編集]

  • 時代劇ドラマSHOGUN」の主人公は三浦按針がモデルとなっている。SHOGUNの中では、船の名はエラスムス号に、ウィリアム・アダムスはジョン・ブラックソーン、徳川家康は虎長の役名となり、織田信長は五郎太、豊臣秀吉は太閤中村と設定されている。また、ブラックゾーンの通訳を務めた女性・まりこが細川ガラシャの出自と似ているが、ガラシャが公式のモデルかどうか不明。
  • アダムスは漂着前に妻を娶ったが、そのまま生き別れになり、領地を与えられた後、日本人の後妻を娶って1男1女をもうけている。日本生まれの息子ジョセフはアダムスの死後、三浦按針の2代目を襲名して旗本となっている。

関連項目[編集]

動画[編集]

YouTube 動画リンク