ひめぢ

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ひめぢ(姫路、? - 寛永18年11月9日1641年12月11日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性後北条氏の一族。

略歴[編集]

父は北条氏忠とされる。つまり祖父は北条氏尭で、曽祖父が北条氏綱ということになる。ただし、このあたりの血縁関係には諸説があって定かではない。母は毛利氏の家臣・乗讃院殿(北条大方)[1]

氏忠は天正18年(1590年)の小田原征伐で後北条家が滅亡した後、安芸に赴いて毛利輝元家臣になっている。氏忠には男子が無かったのか、輝元の嫡子秀就の計らいにより毛利氏家老出羽元盛の次男をひめぢの婿養子に迎え、北条就之と名乗らせたという。ただ、ひめぢの生年は正確には不明だが、推定で天正19年(1591年)と考えられている。それに対して夫の就之は元和6年(1620年)生まれと30歳も年の差がある年の差婚をしており、当時としては婚姻する年齢差とは考えにくい。このため、近年では史料の見直しが行なわれて長州藩の記録である『萩藩譜録』では就之はひめぢの養子と明記されていることから、夫婦ではなく養母・養子の関係だったと考えられている[1][2]

寛永18年(1641年)11月19日に死去。法名は高正院殿運悟妙慶大姉[1]

脚注[編集]

  1. a b c 『戦国北条家一族事典』 戎光祥出版。2018年。P87
  2. 『戦国北条家一族事典』 戎光祥出版。2018年。P88

参考文献[編集]