乗讃院殿
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乗讃院殿(じょうさんいんでん、? - 寛永7年6月27日(1630年8月5日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。北条氏忠の継室。
略歴[編集]
出自は毛利氏の家臣の娘と考えられるが、誰の娘かは不詳[1]。氏忠が後北条家滅亡後に毛利輝元の家臣となった際に結婚したと推測されており、氏忠との間に1人娘(ひめぢ)が生まれている。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて輝元が戦後に長州藩に減移封された際、娘と共に同地に移り、輝元から知行として100石を与えられた。なお、北条氏忠の妻となったため「北条大方」と称された[1]。
寛永7年(1630年)6月27日に死去。法名は乗讃院殿殊渓栄法大姉[1]。