YoutubeマスターD
YoutubeマスターD(Daigo、佐藤大悟、1994年〈平成5年〉4月 - )は、日本の実業家、動画プロデューサー、コンサルタントである。YouTubeチャンネル名やTwitterアカウントではYoutubeマスターDと自称するが、対人ではDiagoと呼ばれることが多い。動画編集スクールMookingの代表を務めており、同社が運営するオンラインサロンHENKAでは戦略講義を担当している。
来歴[編集]
1994年4月、福島県で生まれる。会社経営者の息子にして長男、祖父と祖母は梨屋を営んでいる。
小中高一貫学校に入学したことで、年齢の隔たりなく交流があった。中学校1年時からオーストラリアのアデレードに留学し、ホームステイをしていた。留学先で面倒を見てくれた中国人が賢く紳士的で、経済力にも富んでいたことに影響されて将来金持ちになることを決意。
2012年[編集]
ファミリーマートにて時給630円アルバイトをする傍らでアフィリエイトブログを運営。友人と一緒に1日10記事を書く日々が続くものの、結果は月3万円にとどまった。Facebookで出会った男性から、稼ぎ方を教わりその結果3カ月で月収100万円を達成。稼ぎを資本に東京でHP制作会社を立ち上げるものの、売り上げ0円で撤退。
2013年[編集]
HP制作会社を廃業し、借金400万円を抱えた。毎月13万円の返済に就職の選択肢はなく、様々なネットビジネスに挑戦するが借金は膨らんだ。様々な挑戦を繰り返す中で、YouTubeのストック型コンテンツによる収益の仕組みに惚れ込み、全ての時間をYouTubeに注ぎ込む。序盤は全く結果が出なかったが、知り合いの経営者が「成功したいならアメリカの情報を見たほうがいいよ」と言ったこときっかけに、オーストラリア留学で培った英語力を活かし、アメリカのYouTube市場からノウハウを学ぶ。その結果が好転をもたらし、YouTubeのノウハウを学び、アドセンス広告による収入を得る。借金400万円を背負った7カ月後に月収70万を突破。あとの5年後には月収1800万を突破することとなる。
2014年[編集]
「顔と名前を出さないYouTubeコンサル」というキャッチコピーで独自にYouTubeを研究した「Daigo式 YouTubeマーケティング」を軌道に乗せる。YouTubeアドセンスの成功により生活は一変。
2015年[編集]
マンツーマンで行うYouTubeマーケティングプロデュースの顧客を「生徒さん」と呼ぶ。生徒と海外を旅行するなど、交流が深い。
2016年[編集]
マンツーマンコンサルを始めて2年目で日本全国に50人以上の生徒を持つ。同年7月に訪問したフィリピンのセブ島で同氏の渡航カ国数は40カ国を超えた。漫画インベスターを読み「20代で年収1000万以上稼ぐ方法それは素直さと行動力」と認識。
2017年[編集]
タワーマンションに引っ越し、各県から生徒が遊びに来るようになる。短眠ノウハウを実践し、4時間睡眠のルーティーンを行う。1週間で日本全国の生徒に会いに行くツアーを敢行。5万円から始めた暗号通貨投資が含み益1000万円を突破する。
2018年[編集]
ベトナムのハノイでセミナーを開催。日本国内でデビットカードの不正利用被害に遭い、20万円の被害。
2019年[編集]
自身の運営する動画編集スクールMookingで生徒の村上氏が日給9万円を達成。村上氏は同氏の運転手も担っている。
2020年[編集]
1月30日に『最速で動画編集者になるためのオンラインサロン“編稼(HENKA)”』を開設。自身の運営するYouTubeチャンネル『YouTubeマスターD』がチャンネル登録者数1万人突破。その後2ヶ月でチャンネル登録者25,000人を突破している。
人物[編集]
ビジネスを始める以前からパソコンが好きで2016年4月時点で10台のパソコンを個人所有。20歳から自由になれた理由は「ストック型ビジネス(YouTubeアドセンス)を選んだから」と語る。
食事は海鮮料理とチーズ類を好み、チーズタッカルビ、チーズサムギョプサル、寿司(いくら,うに)、海鮮丼などが該当する。趣味は車、アニメ、海外ドラマ、海外旅行、ゲーム、グルメなど多岐にわたる。時には眠れないほどの肩凝りを持っており、週3回のもみほぐしと、月2回整体に通っている。
東京の街は銀座と恵比寿が好き。近い将来に海外移住をしたいと思っている。起業以来、数年間は女性とカラオケに行っていないが、母や祖母とは行っている。地元福島への帰省時は高速でチャイティーラテを買って飲みながら帰ることが楽しみ。
実績[編集]
いままでに累計1000チャンネル以上のYouTubeコンサルをしている。YouTuberプロデュースを担当した「おかず姫」は無名の段階から史上最速で登録者数10万人を突破。