ヤハウェ
ヤハウェ YHWH | |||||||||||||||||||||||||||
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ヤハウェ(英語:Yahweh)は旧約聖書および新約聖書における唯一神の名である。キリスト教の英語版旧約聖書では、対応する単語が単に「God(神)」または「Lord God(主なる神)」となっていることがある。なお、ユダヤ教の経典には新約聖書はなく、Talmud(タルムード)とTorah(トーラ)が正規の経典である。英語の読みでは「ヤウェ」となる。ヘブライ人の神という意味であって、ヘブライ語の四文字語で表される。
なお「父なる神ヤハウェ」と「その子キリスト」と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰するキリスト教と、ヤハウェのみを唯一神とするユダヤ教、旧約聖書と新約聖書など、宗派・媒体によってヤハウェの扱いは異なることがある。本稿は矛盾のない整合的記述とするため旧約聖書に現れるヤハウェをできる限り各宗派に中立的な立場で記述する。新約聖書での扱いはヤハウェ(新約聖書)を参照されたい。
概要[編集]
ヘブライ語(ヘブル語)では、「יהוה (YHWH)」と4文字で書かれる。これは神聖四文字 (Tetragrammaton)と呼ばれている。古代ヘブライ語は子音だけで表記する(現代のヘブライ語には母音記号がある)ため、母音を補って読むことになる。間にAとEの母音を補うと、YHWHはYahwehとなる。
正統ユダヤ人は、紀元前6世紀から紀元前3世紀にかけてYahwehの名前の発音と筆記を避けるようになり、ヘブライ語の聖書ではエロヒム(Elohim:英語はThe God:神)を使用し、Yahwehの代わりとして置き換えた。エロヒム(Elohim)はイスラエルの神全般を表す語である。または「ハシェム(HaShem:聖なる方」[1]と表記することもあった。その後は、『出エジプト記』20章7節に神の名をみだりに唱えてはならないとされ、違反すると罰せられると書かれており[2]、こうした戒律もあってヤハウェ(Yahweh)は発音するには畏れ多いとして、代わりにアドナイ(Adonai)を使用するようになった。アドナイは「わが主」("My Lord")あるいは「主」("The Lord")という意味である。また文字に欠損のある「G-d」といった書き方もされていた。これらがギリシャ語に訳されると、キリオス(Kyrios :意味は「主」“Lord”)と訳された。 英語になるとキリエ(Kyrie)になる。今では「キリエ」または「キリエ・エレイソン」は、キリスト教では礼拝における重要な祈りの一つとなっている。
キリスト教の聖書ではヤハウェは「主」(the LORD)と訳されることがあるが、カソリックの公式訳(英語版)では「神」(God、「創世記」第1章1)、「主なる神」( Lord God)、または「ヤハウェ神」(Yahweh God、「創世記」第2章4)となっている[3]。
一神教[編集]
ユダヤ教は一般に一神教と理解されているが、歴史的には多神教の時代もあった。古代ユダヤ教のヤハウェは、もともとご利益をもたらす神であった。その意味では神社で恋愛、就職、仕事のご利益をもたらすことと同じである。そしてソロモン時代(紀元前971年から紀元前931年頃)にはヤハウェのほかに、バアル( בַּעַל ba‘al)やアスタルテ(アスタルト、アシュトレテ、アシュトレト、アシュタロトともいう)などの神々も信仰の対象となっていた。バアルは天候神として地に恵みの雨をもたらす神である。『旧約聖書』「列王記」[4]に登場する。アスタルテは豊穣神であり、豊作をもたらす女神である。『旧約聖書』「士師記」に登場する[5]。紀元前八世紀頃のヘブライ王国が分裂し、北のイスラエル王国が滅亡した紀元前722年頃に契約や罪の概念が生まれるとともに、ヤハウェのみを信仰する一神教が誕生した。ヤハウェ以外の神をユダヤの民衆が選択できなくなったのである[6] 「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(出エジプト記20章3、申命記5章7)といった記述[7]を根拠に、一神教の伝統はモーゼやアダムまでさかのぼるという見解もかってはあったが、今日では多くの学者は一神教のはじまりを聖書の初期の時代にさかのぼることは歴史的に正しくないと考えている[8]。
ヤハウェとエホバ[編集]
ヤハウェ(Yahweh)は「ヤーヴェ」(Yahveh、Jahveh)あるいは「エホバ」とも書かれる。モーゼの十戒「主(神)の名をみだりに唱えてはならない」[9]を守るユダヤ教徒の間では発音がされなくなった。これが数百年続いたため「YHWH」の正確な読み方が分からなくなってしまった。
当時記録された文書のヘブライ文字等は子音のみを表したため、記録された文字からは子音の部分しか復元できなかった。
神聖四文字YHWH の間にアドナイ(Adonai)の母音 A-O-Aを補うとYAHOWAHとなるが、ヘブライ語の発音規則によりHの前の母音記号AはEに変化する。すると、YEHOWAH、つまり「エホバ (Yehovah)」となる。しかしながら”Jehovah”(エホバ)が神の名の正しい発音であるかを巡る論争は、100年以上にわたって続けられてきた。聖書学者の多くは、「エホバ」は誤りであり、英訳すると「being (「存在」などの意)」になる「ヤハウェ」または「ヤーヴェ」のみが正しいと主張する。しかし古代の正確な読みが分からない以上は、「エホバ」が誤りであると断定することは難しいようである。
短縮形は「ヤハ」とされる[10]。
エホバは、いわゆる「カルト」によって用いられる言葉である。
ヤハウェは存在するもの[編集]
『出エジプト記 (Exodus)』に神がモーゼに語った言葉として”I Am that I Am”という記述がある[11]。日本語には訳しにくいが「わたしは有るとおりの者である」「わたしは、有って有る者」(口語訳聖書)のように訳される。文語訳聖書では「我は有て在る者なり」と訳されている。意味は分かりにくいが、存在するものとはヤハウェ自身のことであるから、どのように存在するかを問う事は意味がなく、存在自体に意味があると解釈できる。ただし、原文はヘブライ語なので、この英語訳が正しく訳されているかという問題があるし、口語訳聖書は英語版ではなくヘブライ語から訳しているから、どちらが正しい翻訳であるということはできない。
「I Am that I Am」は普通に翻訳すれば「私は私である」と訳せるとする意見もあるが、しかしそれでは英語のBe を正確に訳せていない、とする意見もある。「I Am that I Am」の中にBe など含まれていないとの意見は英語の文法を理解していないようである。amはbe動詞の変化した形であるから。 ちなみにエキサイト翻訳は「I Am that I Am」を「私は、私がそうであることである」と訳しており、「わたしは、有って有る者」に意味の近い翻訳である。しかし、口語訳聖書の方がさすがに含蓄があるように見える。
日本語訳について[編集]
旧約聖書中のどの箇所に「ヤハウェ」が出てくるのか判別できる翻訳とそうでない翻訳とがある。代表的な日本語訳で比較する。
- 文語訳(1887年)
「文語訳旧約聖書」は、数種類あるが、日本聖書協会が1887年に出版したものを指すのが一般的である。原典には、欽定訳英語聖書、ブリッジマン・カルバートソン漢訳聖書などが使われ、ヘブライ語聖書は使っていない。「明治訳」または「元訳」ともいわれる。著作権保護期間(50年)満了により、著作権フリーとなっている。
- ヤハウェは「ヱホバ神」で表されているが(創世記第2章4,5,7など)、「神」も登場する(創世記第1章、第2章3,5など)。「ヱホバ神」の表記は文語訳・創世記、文語訳・出エジプト記など旧約聖書にのみ出現する[12]。文語訳・マタイ傳福音書・マルコ傳福音書などの新約聖書では「神」となっている。「ヱホバ」の記載が見られないのは、旧約聖書はユダヤ教の経典であるが、新約聖書はユダヤ教の経典ではないからである。
- 口語訳(1955年)
日本人の聖書学者により日本聖書協会が出版したものが、「口語訳旧約聖書」である。1955年1月14日に成稿し、4月『旧訳聖書』を出版した。原典はルドルフ・キッテル校訂『ビブリア・ヘブライカ』第三版である。始めてヘブライ語原典から翻訳されたものである。 著作権保護期間(50年)満了により、著作権フリーとなっている。
- 新改訳(1970年 旧約聖書完成、1978年 第2版、2003年 第3版、2017年 第4版(全面大改訂版))
新改訳聖書刊行会が翻訳し、日本聖書刊行会が1972年に発行したものである。原語のヘブライ語から翻訳された。底本はキッテル『ビブリア・ヘブライカ』第七版を使用している。
- 太字で「主」として表記されるようになり、「ヤハウェ」の出現箇所は区別できるようになった[17]。
- 新共同訳(初版1987年)
旧約聖書の原典はドイツ聖書協会発行『ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア』(Biblia Hebraica Stuttgartensia)のヘブライ語原典を使用し、「エロヒム」に該当する箇所は「神」、「ヤハウェ」に該当する箇所は「主」としている。共同訳聖書実行委員会が翻訳し、日本聖書協会から出版された。
- 新世界訳(1982年 第1版、1985年 改訂版)
新世界訳聖書はルドルフ・キッテル校訂[『ビブリア・ヘブライカ』(BHK)の 第七版、第八版、第九版を使用しているが、死海写本や他の言語の旧約聖書の翻訳も参考にしている。
- 新世界訳聖書翻訳委員会(エホバの証人で構成)による版である。旧約聖書では「エホバ神」と表記されるようになった[18]が、「神」も残る。さらに新約聖書中にも「エホバ」の名を表記する事が行われ、その事が問題視される事が多い。たとえば文語訳では「主の使、夢にてヨセフに現れていふ」[19])の個所を、新世界訳では「エホバのみ使いが夢の中でヨセフに現われて,こう言った」[20]となっている。
ヤハウェの性格について考察[編集]
独自研究[編集]
これ以降は、考察という性格から独自研究が多くなり、一般的見解とは言えない。その詳細はもはや一般人には判別不能かもしれない。
- 神に人間と同じような性格があるのか疑問はあるが、恐らく人間が想定し得る全ての性格を包含しているとの独自研究がある。
- しかしながら、全ての性格をもっていると多重人格になる(前記リンク参照)ので、ヤハウェがそのような不完全なものとは考えられないとの独自研究もある。神は人間ではないので、多重人格でも各人格を完全に制御下に置いているとする独自研究もある。しかし、神を解離性障害と考えることは神を冒涜するものではないかとの独自研究もある。
- 神に創られた存在であるとする人間に性格が存在している以上、性格を持っている人間を創ったとされる神が性格を持っていないとは考えられないとする意見がある。それでは同じように神に作られた蛇やトカゲや植物にも性格があるのだろうか(哺乳類ではない植物や爬虫類)、という意見もあるが、同じ植物や爬虫類の種類でも個体によって性格がまるで違うという意見もある。
- 性格とは感情や意志のことなので、植物にも感情や意志があるかは、なかなか難しい問題である。しかし、ウィルスなどまで含めれば、神に創られた存在にすべて性格があるとは言えないであろう。
- そういう意味ではやはり、「神は自分のかたちに人を創造された。」[21]とある通り、性格が明確に存在する人間は特別な存在とされていると分かる。
旧約聖書中の表現[編集]
- 旧約聖書では「父親」[22][23]と表現される事がある。だとすれば、父親の性質を持っていることは考えられる。他には、「地に、いつくしみと公平と正義を行っている者」という表現がある[24][25]。他にも「真実なる神であって、偽りなく、義であって、正である。」とされる[26][27]。
- 偶像崇拝を一切容認しない事でも有名。
脚注[編集]
- ↑ HaShem:英語では"The Name"(御名)または"the Holy One"(聖なるもの)
- ↑ 出エジプト記
- ↑ Genesis - Chapter 1
- ↑ 『旧約聖書』「列王記」第16章31節、第19章18節など
- ↑ 『旧約聖書』「士師記」第2章13節、第10章6節
- ↑ 加藤隆(2002)『一神教の誕生』講談社
- ↑ “申命記(口語訳)6章14から15節”. ウィキソース (2018年7月13日). 2018年11月19日確認。
- ↑ マーク・スミス(2013)『古代イスラエルにおける一神教と神の再定義』一神教学際研究 9, pp.3-21
- ↑ 『旧約聖書』「出エジプト記」第20章7節
- ↑ jawp:ヤハ
- ↑ 『旧約聖書』「出エジプト記」第3章14節
- ↑ 翻訳委員会訳(1887)『文語訳 旧約聖書Ⅰ』岩波書店
- ↑ 創世記
- ↑ 創世記(口語訳)1955年版
- ↑ 「萬軍のヱホバ」“マラキ書(文語訳)3章10節”. ウィキソース (2017年12月18日). 2018年11月19日確認。
- ↑ 「万軍の主」“マラキ書(口語訳)3章10節”. ウィキソース (2018年7月13日). 2018年11月19日確認。
- ↑ 新改訳聖書miniwiki
- ↑ 創世記
- ↑ 文語訳聖書(1950)「マタイ伝2:13」日本聖書協会
- ↑ 新世界訳「マタイ伝2:13」
- ↑ “創世記(口語訳)1章27節”. ウィキソース (2018年7月28日). 2018年11月20日確認。
- ↑ 「あなたの父」“申命記(口語訳)32章6節”. ウィキソース (2018年7月13日). 2018年11月19日確認。
- ↑ 「みなしごの父、やもめの保護者」“詩篇(口語訳)68章5節”. ウィキソース (2018年7月13日). 2018年11月20日確認。
- ↑ “ヱレミヤ記(文語訳)9章24節”. ウィキソース (2012年7月9日). 2018年11月20日確認。
- ↑ “エレミヤ書(口語訳)9章24節”. ウィキソース (2018年7月13日). 2018年11月20日確認。
- ↑ “申命記(口語訳)32章4節”. ウィキソース (2018年7月13日). 2018年11月20日確認。
- ↑ “申命記(文語訳)32章4節”. ウィキソース (2012年7月9日). 2018年11月20日確認。