7代目竹本住太夫
ナビゲーションに移動
検索に移動
竹本 住大夫(たけもと すみたゆう、大正13年(1924年)10月28日 - 平成30年(2018年)4月28日)は、人形浄瑠璃文楽の太夫で、文化勲章受章者である。本名は岸本 欣一(きしもと きんいち)である。孫に脚本家の岸本みゆきがいる。
生涯[編集]
大阪市出身。生後間もなく6代目竹本住太夫の養子となる。戦後の昭和21年(1946年)に2代目豊竹古靭太夫(のちの豊竹山城少掾)に入門し、豊竹古住太夫の名で初舞台を踏む。9代目竹本文字太夫を経て昭和60年(1985年)に7代目竹本住太夫を襲名する。
竹本は自分は不器用で稽古するより上達の道が無いとして猛修行し、昭和56年(1981年)に太夫の最高位の「切場語り」となる。得意演目は「沼津」「野崎村」「酒屋」などがある。世話物にしみじみとした情感を通わせる奥深い芸は高い評価を受ける。
平成元年(1989年)に人間国宝に認定される。平成14年(2002年)に日本芸術院会員となる。平成17年(2005年)に文化功労者に選ばれ、平成26年(2014年)に文楽界で初めて文化勲章を受章した。
人形遣いの人間国宝である初代吉田玉男、吉田蓑助らとともに文楽人気を盛り上げ、文楽が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されることに大いに貢献した。大阪市の橋本徹市長が文楽協会への補助金削減を打ち出した際、前面に立って文楽の重要性を訴えた。平成26年(2014年)5月、89歳で惜しまれながら引退した。
平成30年(2018年)4月28日午後2時42分、肺炎により大阪府大阪市の病院で死去。93歳没。