黒石藩
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黒石藩(くろいしはん)とは、江戸時代後期から明治時代初期まで存在した陸奥国の藩である。藩庁は黒石陣屋。藩主家は外様大名の津軽氏。現在の青森県黒石市に存在した。弘前藩の支藩である。
概要[編集]
明暦2年(1656年)、弘前藩主の津軽信政が叔父の津軽信英に陸奥国黒石に3000石、上野国大館に2000石を分与した。信英は黒石に居を定めて旗本となった。後にこの家系は4000石となる。
それから6代目の津軽寧親の時、本家の弘前藩が世子無く藩主が死去したことから、寛政3年(1791年)に弘前藩主となる。そして文化6年(1809年)、寧親は8代目の津軽親足に蔵米6000石を分与した。これにより以前の4000石に加えて1万石となり、親足は大名に昇格して黒石藩を立藩した。
以後、津軽順徳・津軽承保・津軽承叙ら3代を経て、明治維新、廃藩置県を迎えて黒石藩は消滅した。
歴代黒石領主[編集]
- 津軽家(黒石津軽家)
交代寄合 5000石→4000石
- 初代 信英(のぶふさ)(1656年 - 1662年)
- 2代 信敏(のぶとし)(1663年 - 1683年) 弟津軽信純に1000石分与。
- 3代 政兕(まさたけ)〔正六位下、釆女正〕(1683年 - 1743年) 交代寄合から外されると伝わる。
- 4代 寿世(ひさよ)(1743年 - 1758年) 本家4代藩主信政の五男。婿養子。
- 5代 著高(あきたか)(1758年 - 1778年)
- 6代 寧親(やすちか)〔従五位下、土佐守〕(1778年 - 1791年) 弘前藩9代藩主となる。
- 7代 典暁(つねとし)(1791年 - 1805年)
- 8代 親足(ちかたり)(1805年 - 1809年)
歴代黒石藩主[編集]
- 津軽家(黒石津軽家)
外様 1万石