黒田利高
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黒田 利高 くろだ としたか | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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黒田 利高(くろだ としたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。黒田氏の家臣。黒田二十四騎、黒田八虎の筆頭である。
生涯[編集]
通称は小一郎、兵庫助。父は黒田職高で次男。母は明石正風娘・岩(小寺政職の養女)で孝高の同母弟で姫路で生まれた[1]。
羽柴秀吉に仕え、天正14年(1586年)から兄の孝高の家臣となり、その補佐を務めた。兄の孝高が豊前中津城主になった際、1万石を与えられて高森城主となる。秀吉の朝鮮出兵の際には甥の長政に従い、謖山の戦いで高名を立てた。日本に帰国して病気に倒れて上京するも、文禄5年(1596年)5月18日に和泉堺において死去した。享年43。兄・孝高に先立っての死去であった。墓所は福岡県福岡市の長円寺[1]。
関連作品[編集]
脚注[編集]
出典[編集]
- ↑ a b 黒田官兵衛のすべて 2013, p. 229.
参考文献[編集]