高屋定國
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高屋 定國(たかや さだくに、1927年8月4日 - )は、国際政治学者。元・佛教大学社会学部社会学科教授。日本ユーゴ友好協会会長[1]。
経歴・人物[編集]
京都市出身。1951年同志社大学法学部政治学科国際政治学専攻卒。1954年同志社大学人文科学研究所員[1]。1955年のキリスト教社会問題研究会(C・S研究会)の結成に参加[2]。講座派の流れを汲むマルクス主義の学者で共産党員であったが、1958年12月に「山川均の「方向転換論」に関する一考察」(『キリスト教社会問題研究』第2号)という論文を書いたため共産党を除名された[3]。1960年にソ連やフランス、イタリアを訪問し構造改革論に関心を持つ[3]。1963年から2年間ユーゴスラビアに留学し[4]、ベオグラード大学大学院を修了[1]。帰国後は京都精華大学(1966年京都精華短大開設、1979年京都精華大開設)の設立に関わり[3]、1966年に付属の精華女子高等学校の校長に就任した[1]。1971年橘女子大学助教授。1982年佛教大学助教授、1984年教授[1]。
1961年に社会党京都府本部を通じて江田三郎と知り合った。また政治学者の蠟山道雄に誘われて公明党・竹入義勝委員長の日中国交回復運動を手伝い、日中友好国民協議会の関西側の事務局長のような仕事もしていた。のちに公明党の矢野絢也書記長から江田も推薦していると声をかけられて、1976年2月に江田、矢野、松前重義(東海大学総長)、佐々木良作(民社党副委員長)らが結成した「新しい日本を考える会」に参加した[3]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『現代史の諸問題』(京都精華学園、1969年)
- 『現代世界をみる眼』(ミネルヴァ書房[叢書・同時代に生きる]、1986年)
共著[編集]
- 『グローバル時代の政治――現代政治学入門』(松尾眞共著、ミネルヴァ書房、1997年)
- 『政治学』(松尾眞共著、佛教大学通信教育部、1997年)
訳書[編集]
- コミンテルン編『極東勤労者大会――日本共産党成立の原点』(辻野功共訳、合同出版、1970年)
- ILO編『ユーゴスラビアの企業における労働者自主管理制度――社会主義と民主主義』(高橋正雄共訳、至誠堂、1974年)
- M.ドルーロヴィチ『試練に立つ自主管理――ユーゴスラヴィアの経験』(山崎洋共訳、岩波書店[岩波現代選書]、1980年)
- エドヴァルド・カルデリ『民族と国際関係の理論』(定形衛共訳、ミネルヴァ書房、1986年)
- マーチン・ショー『グローバル社会と国際政治』(松尾眞共訳、ミネルヴァ書房[Minerva21世紀ライブラリー]、1997年)