高天神小笠原家譜
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高天神小笠原家譜(たかてんじんおがさわらかふ)とは、戦国時代の史料である。
概要[編集]
作者も成立年代も不明で、写本は『国書総目録』に記載されていない。刊本は「改定史籍集覧」13、「続群書類従」5に収められている。
内容は信濃深志城の小笠原氏をはじめ、小笠原長高、小笠原春儀、小笠原氏興、小笠原氏儀の4代を系譜などで記録した家記である。
長高は親子の不和で故郷を去り、春儀は今川氏に仕えて遠江高天神城主に任命され、氏興は徳川家康に属し、その子の氏儀は元亀元年(1570年)3月に武田信玄に高天神城を攻撃されたが籠城して撃退した。信玄没後の天正2年(1574年)、信玄の4男・勝頼の攻撃を受け、家康や織田信長の後詰が来なかったため、勝頼の攻撃と調略を受けて降伏した。しかし、多くの家臣が同意しなかったので、高天神城開城後に浜松城に退いたとされている。
なお、史料では家康を「東照君」としているので、恐らく江戸時代前期をだいぶ過ぎたあたりに成立した後代史料だと考えられる。