高井保弘
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛媛県今治市 |
生年月日 | 1945年2月1日(79歳) |
没年月日 | 1945年2月1日(満-75歳没) |
身長 体重 | 173 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 指名打者、一塁手、外野手 |
プロ入り | 1964年 |
初出場 | 1966年6月8日 |
最終出場 | 1982年10月3日 |
高井保弘 | |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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高井 保弘(たかい やすひろ、 1945年2月1日 - 2019年12月13日)は、愛媛県今治市出身のプロ野球選手(内野手)。娘は宝塚歌劇団73期生の松波美鶴。プロ野球選手として27本の代打本塁打を放ったことで知られる。これは代打本塁打としては歴代最多である。
経歴[編集]
愛媛県今治市出身。今治西高校から名古屋日産を経て、1964年に阪急(現在のオリックス)に入団する。主に代打として活躍し、1974年のオールスターゲーム第1戦でヤクルトスワローズの松岡弘から代打逆転サヨナラ2ランを放ったことで知られる。なお、球宴史上において2019年現在、代打サヨナラ本塁打は未だにこの1本だけである。
1975年には代打本塁打で当時の大リーグ記録を超えて、「世界の代打男」の異名を取った。同年からパリーグで指名打者制度が導入され、1977年に指名打者でベストナインに輝いた。1982年に現役引退する。通算成績は1135試合に出場し、打率は2割6分9厘、安打は665本、本塁打は130本、打点は446点であった。
2019年12月13日午前9時44分、腎不全のため、兵庫県西宮市の病院で死去した。74歳没。
表彰[編集]
記録[編集]
- 初記録
- 初出場:1966年6月8日、対近鉄バファローズ8回戦(阪急西宮球場)、7回裏に柿本実の代打で出場
- 初安打:1966年8月16日、対近鉄バファローズ20回戦(日生球場)、9回表に石井晶の代打で出場、牧野伸から単打
- 初打点:1967年4月9日、対東映フライヤーズ2回戦(後楽園球場)、9回表に早瀬方禧の代打で出場、伊藤芳明から右翼線へ先制決勝適時二塁打
- 初先発出場:1967年5月21日、対近鉄バファローズ6回戦(阪急西宮球場)、7番・一塁手で先発出場
- 初本塁打:1967年9月2日、対近鉄バファローズ20回戦(日生球場)、9回表に中沢伸二の代打で出場、板東里視から3ラン
- 節目の記録
- 100本塁打:1979年6月12日、対近鉄バファローズ前期10回戦(西京極球場)、7回裏に山口哲治から右中間ソロ ※史上104人目
- 1000試合出場:1980年8月14日、対日本ハムファイターズ後期5回戦(西京極球場)、7回裏に八木茂の代打で出場 ※史上219人目
- その他の記録
- 通算代打本塁打:27本 ※世界記録、日本記録、パ・リーグ記録
- シーズン最多代打本塁打:6本(1974年) ※パ・リーグ記録
- オールスターゲーム出場:1回 (1974年)
背番号[編集]
- 44 (1964年 - 1966年)
- 35 (1967年 - 1972年)
- 25 (1973年 - 1982年)
関連情報[編集]
著書[編集]
- 『代打男』(恒文社, 1983年8月)