首都京都説
首都京都説は、明治維新後も日本の首都が京都から移っていないとする主張。
概要[編集]
明治元年(1868年)に発布された『江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書』という詔勅の通称が『東京奠都ノ詔』だったされ、「遷都は行われておらず、日本の正式な首都は未だ京都である」とされる。奠都(てんと)とは都を定めるという意味を持つ(とされる)単語で、これを根拠に都を移す遷都(せんと)が行われていないため京都が依然首都のままであるというものである。実際、この詔勅の内容中では江戸を東京に改称し、明治天皇が移ったことを述べているものの、首都を東京に遷すということは書かれていない。
事実、昭和天皇の即位まで、即位の礼は京都で行われていた。
この説が唱えられるようになった時期は不明であるが、旧都としての自負や、明治以降の劣等感の払拭から発生したものと考えられており、現在でも一部で支持を得ている。
代表的な文句として、「遷都の儀」が行われおらず、まだ首都は移転していない。行われたのは「遷都」ではなく「奠都」であり、首都を移転させる詔勅は未だ発布されていない。などというものがある。
法律[編集]
1950年に制定された首都建設法では首都が東京都として明示されたものの、これは6年後に廃止され後継の首都圏整備法では首都圏を定義したのみで、首都がどこかは定めていない。そのため現在の日本には、首都がどこであるかを厳密に定めた法令が存在していない。よって、元より法的には京都も首都であるとは限らない。1990年代から日本の各地方自治体が活発に行ってきた誘致政策も、「首都移転」ではなく「首都機能移転」の誘致となっている。なお、京都市も首都機能移転誘致を行っていて、文化庁関連の施設がある。
東京の主張[編集]
東京には、皇居や立法・行政・司法の中心的機関が集中している。東京都市圏は日本一そして世界トップクラスの人口と経済をもつ都市圏である。 乗降客数最大の駅新宿駅も日本一高い東京スカイツリーも日本一人が通る渋谷スクランブル交差点も東京にある。 北海道などの北日本との位置関係から、京都よりも東京の方が地理的に日本の中央である。
また、法的には東京は首都ではなくても、東京は一度は法的にも首都とされ、現在も首都圏にある。また、法的根拠を必要とするならば、京都もまた首都ではない。
京都の主張[編集]
主な主張は概要にある通り。また、歴史的にも平安京以来天皇の住む千年の都であった。京都あるいは京都府という言葉を構成するすべての漢字は、"みやこ"を意味する。京都御所は今もあり、天皇は長い間、東京行幸に赴いているだけ。実際、最後に明治天皇が京都を離れたときは外出名目であり、太政官の代わりに留守官を京都においている。他に、高御座(歴史的に天皇の住む地にあった)は明治以降も、京都にあるまま。
その他[編集]
オランダでは、アムステルダムが対外的に首都とされながら、アムステルダムより人口の少ないハーグに中央官庁や国会議事堂が集中して実質の首都であり、王宮もアムステルダムに本宮がありながら、実質ハーグの離宮化している。