霍弋
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霍 弋(かく よく、生没年不詳)は、中国の三国時代の蜀・魏・西晋にかけての武将。字は紹先(しょうせん)[1]。父は霍峻。伯父は霍篤。子の名は不詳。孫は霍彪。
生涯[編集]
荊州南郡枝江県の出身[1]。劉備の時代から家臣として仕えて太子舎人となる[1]。234年の諸葛亮の没後は黄門侍郎に任命され、劉禅の長男である劉璿が皇太子になると太子中庶子に任命される。永昌郡太守になると反乱を鎮圧して監軍・翊軍将軍・建寧郡太守となる[1]。263年の蜀滅亡では安南将軍に任命されるが、劉禅が降伏すると6郡の大将と太守を率いて魏に降伏し、南中都督に任命される[1]。その後は交州の交趾・九真・日南の3郡をも平定して列侯に封じられた[1]。
『三国志演義』ではかくかと名が読まれている以外はほぼ史実どおりである。