陳武
ナビゲーションに移動
検索に移動
陳 武(ちん ぶ、? - 215年)は、中国の後漢末期の武将。孫策・孫権の家臣。字は子烈(しれつ)[1]。子は陳修・陳表。
生涯[編集]
揚州廬江郡松滋県の出身[1]。孫策が袁術の配下だった時に18歳で部下となった[1]。身の丈が7尺7寸(約185センチ)あり、別部司馬に任命される[1]。孫権の時代になると偏将軍に任命された[1]。215年に曹操軍との合肥の戦いで戦死した[1]。
陳武は思いやりがあり気前がよく、そのため人望が厚くて身を寄せる者が後を絶たなかったという[1]。
『三国志演義』では顔は黄色く眼が赤いという奇怪な容貌が語られ、史実通り武将として活躍する。215年に濡須の戦いで当時曹操の部下となっていた龐徳と一騎討ちし、袖が枝に引っ掛かったところを討ち取られている。