関幸夫
ナビゲーションに移動
検索に移動
関 幸夫(せき ゆきお、1919年1月1日 - 1993年5月6日[1])は、日本の政治運動家。日本共産党中央委員会顧問。
来歴[編集]
東京都台東区生まれ。東京府立第九中学校を中退し、万年筆店に就職。1935年、正則商業学校3年に編入し、ここでマルクス主義に接する。卒業後、インドネシアの百貨店に就職するが、勉学のため退職して立教大学予科に入学。1942年、軍に現役入隊して中国に派遣され[2]、将校として前線に立つ[3]。戦後、侵略戦争に加担したことを反省して東北大学法文学部に入学。1946年、日本共産党に入党[2]。1949年、東北大学法文学部西洋史学科卒業[4]。以降、日本共産党宮城県委員長、中央委員、中央委員会統一戦線部副部長、熊本県委員長などを歴任。1983年中央委員会付属社会科学研究所事務局長、1984年副所長、1990年中央委員会顧問、社会科学研究所顧問。1993年5月6日、肺癌のため代々木病院で死去[2]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『統一戦線のはなし』 日本青年出版社(青年のための社会科学)、1970年
- 『知識人論ノート』 新日本出版社、1984年
- 『史的唯物論とはなにか』 新日本出版社(新日本新書)、1986年
- 『社会科学をどう学ぶか』 新日本出版社、1987年
- 『科学的社会主義の古典案内』 新日本出版社、1988年
- 『現代に生きる史的唯物論』 学習の友社、1989年
- 『個性的に自由に生きるとは――新しい時代のものの見方考え方』 新日本出版社、1990年
- 『哲学ものがたり』 新日本出版社(新日本新書)、1991年
- 『山川イズムと福本イズム』 新日本出版社、1992年
- 『激動の時代と史的唯物論・知識人』 白石書店、1994年
- 『天皇の戦争責任と君主論』 白石書店、1995年
解説[編集]
- 山本懸蔵『山本懸蔵集』新日本出版社(戦前日本共産党幹部著作集)、1986年、改訂版1992年
- 上田茂樹『上田茂樹集』新日本出版社(戦前日本共産党幹部著作集)、1986年
脚注[編集]
関連文献[編集]
- 加藤哲郎 『モスクワで粛清された日本人――30年代共産党と国崎定洞・山本懸蔵の悲劇』 青木書店、1994年