長岡京
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長岡京(ながおかきょう)は、山城国乙訓郡(現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区)にあった古代日本の都城。宮域跡は向日市鶏冠井町(かいでちょう)に位置し、「長岡宮跡」として国の史跡に指定されている。
概要[編集]
延暦3年(784年)、桓武天皇は人心を一新するため、奈良の平城京からの遷都を実行し、長岡京に遷った。
この長岡京の造営には諸国の百姓が31万4000人も動員され、その規模は後年の平安京に匹敵するものと見られている。
ところが延暦4年(785年)に桓武政権の中心人物で遷都を推進していた藤原種継[注 1]が暗殺され、さらに皇太子である早良親王の廃立事件など、人心の一新とは程遠い凶事が相次いだ。さらに早良親王の祟りと言われる不祥事も続発し、延暦13年(794年)に和気清麻呂の提言によって長岡京造営は中止され、同年、同じ山城国の葛野郡と愛宕郡に跨る地の平安京に遷都が実行された。
太平洋戦争の後、発掘調査が行われて大極殿跡などが明らかとなり、昭和39年(1964年)に「長岡京跡」として国の史跡に指定された。さらに大極殿公園・内裏公園・築地公園などが整備された。毎年11月11日、当時をしのんで大極殿祭が開催されている。
アクセス[編集]
前後の都[編集]
ただし、飛鳥・奈良時代の短期間の遷都地は除く。
関連項目[編集]
注[編集]
- ↑ 出自は藤原式家、宇合流。