都之城
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都之城(みやこのじょう)とは、現在の宮崎県都城市都島町にかつて存在した日本の城である。都城とも言われる(ただし都城だと同語で他の意味も多いため、都之城と書かれることが多い)。
概要[編集]
現在の西都城駅の南西およそ1キロ、日豊本線と旧国道が交差する北西方、海抜150メートル余りの小さな丘の上に築かれていた平山城であった。別名を鶴丸城ともいう。
南北朝時代の天授元年/永和元年(1375年)、薩摩国の島津氏の一族であった北郷義久(誼久)の築城と言われている。北郷氏の歴代当主が居城としたが、天正15年(1587年)に当時の当主・北郷時久が伊集院忠棟によって薩摩の宮之城に移されたため、以後は伊集院氏の居城となる。
忠棟は豊臣秀吉の信任を得て島津家中で大いに権勢を振るったことから島津忠恒らの不満を買っており、秀吉没後の慶長4年(1599年)に忠恒によって殺害される。それに激怒した忠棟の子・伊集院忠真は忠恒に対して反乱を起こしたことから、都之城を追われることになる(庄内の乱)。慶長5年(1600年)に北郷時久の孫・北郷忠能が都之城主として復帰した。
江戸時代になると江戸幕府が発令した一国一城令により、都之城は廃城となる。忠能は天神山を中心にして館を構え、以後は北郷氏が島津氏の家臣としてこの館の主を14代にわたって務めて明治維新を迎えた。
現在の城跡には遺構はほとんど残っていない。後世において建てられた城跡碑だけがあるのみで、城跡の南方、日豊本線の線路を越えたところには都城北郷氏歴代の墓地があり、北郷忠相以降の大きな墓石が整然と並んでいる。