遠山直景 (右衛門大夫)
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遠山 直景(とおやま なおかげ、? - 天正15年5月29日(1587年7月4日))は、安土桃山時代の武将。後北条氏の家臣。遠山政景の子。氏政、氏直の2代に仕える。官途は右衛門大夫[1]。子に直勝、景吉。
経歴[編集]
父は遠山政景で嫡男。妻は伯父の遠山隼人佑の娘。幼名は千代菊(ちよぎく)[1]。Wikipediaではなぜか左衛門大夫とされているが、実際は右衛門大夫である。また、川村秀重なる叔父がいるとされるが、系図などからは確認できないのでWikipediaの誤りがよく表れている記事である。
天正8年(1580年)に父・政景が死去したため、家督を相続した。諱の直景は主君・北条氏直からの偏諱と考えられる。
天正11年(1583年)に北条氏秀が死去し、隠居の前当主である北条氏政が江戸地域の支配に当たるようになったため、直景の役割は江戸衆の筆頭として軍事的役割、下総国の千葉氏に対する指南などの役割を務めたという[1][2]。
天正15年(1587年)5月29日に死去。法名は桃雲宗見居士[2]。
父の政景が僧籍から還俗したことを考えると、直景は恐らくまだ20代の若さだったと考えられる。政景や直景の相次ぐ早世により、遠山家の重臣としての地位は低下し、次代の直勝の時代にはかつてのような権限は与えられなくなっている[2]。