越後軍記
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概要[編集]
上杉謙信の1代記で、全12巻。序文に元禄15年(1702年)3月に「白雲子」により作られた、とある。一説にこの白雲子とは宇佐美定祐とされている。
巻頭に「長尾景虎家系」として、桓武天皇からの系譜を養孫の定勝まで記している。1巻は長尾氏の家系から景虎の誕生、家臣との対立が描かれ、2巻では景虎の諸国修行から帰国して家臣を成敗するまで、3巻は首実検を宇佐美良勝に教わり、村上義清が越後国に亡命するまで、4巻は武田信玄との信濃国での戦い、5巻は関東管領職の譲渡と出家、上野国出兵まで、6巻は信玄との戦い、7巻は関東出兵や上洛、8巻は第4回の川中島の戦い、9巻は武蔵松山城の戦いにおける後詰、山根城の戦い、10巻は宇佐美良勝の死去と北条氏康との和睦交渉、11巻は越相同盟と氏康の死去まで、12巻は信玄の死去と謙信の能登国平定、謙信の死去とそれによる御館の乱、そして上杉景勝が会津若松城主として120万石を領する大大名になるまで、である。
後代史料である上、成立も江戸時代中期なので、そこまで信頼性は高いとは言えない。