首実検
首実検(くびじっけん)とは、日本の戦国時代に合戦が終結した後、勝者側の武士が討ち取った首を主君の前に並べて披露し、自分の手柄を証明して論功行賞の重要な証拠となる儀式のことである。
概要[編集]
この首実検は自分の褒賞がかかっているため、首をとった武将らは首級が少しでも高位の者に見えるように様々な細工を施した。その仕事を担当したのが従軍した女性たちだった。女性らの手によって血で穢れた生首は洗われ、薄化粧が施された。当時は男性でも今川義元のように大大名で高貴な人物になるとお歯黒を塗っていたが、首級の印象を少しでも良くするためにお歯黒が塗られる場合もあった。死後硬直で固くなった口を無理矢理開かせて指を差し入れ、お歯黒を塗っていく作業など現代の我々から見れば異常な行為でしかないが、当時の女性たちは兵士らと同様に戦慣れして死体や首も見慣れていたので平然とやっていたという。
当時、首級の黒目が左側を向いているのは不吉とされていたため、そのような首を主君の前に差し出すのは不敬とされていた。このため、左側に黒目が寄った首級は眼球に手を添えて無理矢理に動かして黒目の方向を変えることもあった。ただし、これはかなりの高等技術で熟練した技術と経験が要求される。片眼をつむった状態で歯を食いしばっている状態の首級も不吉とされていた。これは憎悪の念を抱いているとされ、まるで怨念がこもったように見えたためである。この首級を女性らは手にとって瞼や唇をいじりながら穏やかな表情に変えていった。
また、遠方まで首級を運んで首実検を行なう場合、腐敗して醜くならないように首級を塩漬けして防腐処置が施された。漬物を作るような感じで、女性らは首級を笑い話をしながら樽に入れて塩をまぶしたりしたという。このようにして首級の細工が行なわれ、そして首実検で得た褒賞より女性らにも報酬が支払われたという。なお、この女性らは本来は食事などの下働きで雇われた女性、あるいは売春を目的とした女性らだったという。
ただし、場合によっては首実検を行なわない場合もあった。例えば敵軍が生き残っている場合、敵軍の前で首実検などを行なえばそこを敵に襲われて大敗するケースもあるからである。武田信玄などは上田原の戦いで村上義清を相手に初戦は大勝したが、それをいいことに村上軍の前で首実検を行なうほど油断したため、村上軍に逆襲されて重臣の板垣信方や甘利虎泰ら多くの重臣を失って大敗することになった。