象列車
象列車(ぞうれっしゃ)とは、日本国有鉄道・近畿日本鉄道の臨時列車である。
概要[編集]
日本国内では太平洋戦争前に上野動物園・東山動物園・天王寺動物園の3園で象を飼育していた。しかし戦時中に空襲のパニックで逃げ出した動物が事故を起こす危険性があるという主張に基づいて行われた戦時猛獣処分と食糧事情の悪化で上野と天王寺の象は死んでしまい、終戦時点では東山動物園のマカニーとエルドしか象がいなくなっていた。
戦後の1949年4月に上野動物園の園長が、5月には台東区子ども議会の代表の中学生2人が名古屋を訪れ、東京への象の貸し出しの陳情を行った。当時マカニーとエルドは高齢で、移送のために2頭を別々の貨車に乗せるための練習を動物園内で行ったらパニックを起こして暴れ、流血する結果となったため象の貸し出しを断念。象が東京へ行けないなら、象を見たい子供達を名古屋へ来させようという方針で固まり、国鉄へ臨時列車の設定を請願する事となった。しかし当時の国鉄は連合国軍最高司令官総司令部の支部である連合軍民間運輸局(CTS)の管理下にあり、自由に臨時列車を仕立てられる状況にはなかった。だが国鉄が熱心に交渉を繰り返し、なんとか臨時列車の設定が実現した。これが象列車である。
運転状況[編集]
1949年6月18日、彦根駅発着で象列車の第1弾が運転された。1週間後の6月25日には東京発着で第2弾が運転され、往路は東京駅発で夜行運転を行い、復路は名古屋から上野まで昼行運転を行った。
その後、各地から団体専用列車として、或いは定期列車への併結という形で各地から名古屋への象列車が多数運転された。
近鉄の象列車[編集]
近鉄も1949年8月から上本町駅発着で象列車を運転した。当時大阪線と名古屋線の軌間が異なっていて直通運転が出来なかったため、伊勢中川駅乗換という形で運行された。
その他[編集]
象列車運転までの模様を描いたノンフィクションの絵本『ぞうれっしゃがやってきた』などで象列車の物語が語り継がれており、小学校の社会科歴史学習の一環として学芸会で同作の演劇を行う所がある。