袁燿
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袁 燿(えん よう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。父は袁術。姉妹は孫権の側室袁夫人。娘は孫奮(孫権の5男)の妃[1]。
生涯[編集]
199年に父が死亡した際、他の家族たちと共に元袁術配下であった劉勲の下へ身を寄せたが、同年12月に劉勲が孫策との戦いに敗れた時、家族や劉勲の妻子らと共に孫策の捕虜となった[1]。200年に孫策が死亡した後は孫権に仕え、姉妹が孫権の後宮に入り、娘が孫奮に嫁いだため、袁燿は孫権から郎中に任命された[1]。
『三国志演義』では皇帝を称した袁術が呂布と同盟並びに婚姻を結ぶ際、呂布の娘を袁術の息子に嫁がせるという形で登場しているが、演義にはそれが袁燿であるとの記述は無い。この名前不明の息子は袁術の死後、一族の袁胤と共に廬江郡に逃れようとしたが途上で曹操配下の徐璆によって殺害されている。