徐璆

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

徐 璆(じょ きゅう、生没年不詳)は、中国後漢末期の政治家孟玉(もうぎょく)(又は孟平(もうへい))[1]

生涯[編集]

広陵郡海西県の出身[1]。若い頃から清廉潔白で任城郡汝南郡東海郡など3郡の太守を歴任する[1]袁術に抑留された際、上公の位を授けられたが固辞した[1]199年に袁術が死去すると彼が所持していた玉璽を見つけて献帝に返上し、太常に任命される[1]。後に曹操丞相に任命された際、曹操は徐璆に譲ろうとしたが固辞した[1]

三国志演義』では袁術の死後、玉璽を守って落ち延びていた袁胤を殺害して玉璽を取り戻し、曹操に献上して褒美を授かっている。

脚注[編集]

  1. a b c d e f 小出『三国志武将事典』P20

参考文献[編集]