袁夫人
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袁夫人(えんふじん、生没年不詳)は、後漢末期から三国時代にかけての呉の女性。孫権の側室[1]。
生涯[編集]
袁術の娘で袁燿の姉妹に当たる[1]。199年に袁術が死亡した後、遺されたその妻子たちは劉勲の下に身を寄せた。しかし同年12月に劉勲が孫策に敗れて逃亡を余儀なくされた際、袁術の妻子は劉勲の妻子らと共に孫策の捕虜となった[1]。200年に孫策が死亡すると袁術の遺族は孫権に庇護され、彼女は孫権の側室となった[1]。
『呉歴』によると彼女は父親と違って人格者だったようで、良妻だったという。ただ子供運には恵まれず、そのため孫権は他の妻妾が生んだ子息を袁夫人に育てさせたが、それらは全て早世したという。孫権が寵愛した歩夫人が238年に死去すると、孫権は袁夫人を皇后に立てようとしたが、彼女は自分に子供がいないことを理由に辞退したという。
二宮の変により孫亮が皇太子になると、その生母である潘皇后からかつて孫権に寵愛された事を嫉妬され、袁夫人ら多数の妃嫔を誹謗中傷している。
一説に潘皇后からかつて孫権に寵愛された事を嫉妬され、讒言により殺害されたともいう[1]。事実なら没年は250年から252年の間と推測される。
『三国志演義』には登場しない。