袁胤

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袁 胤(えん いん、生没年不詳)は、中国後漢末期の政治家武将袁術の従弟[1]

生涯[編集]

豫州汝南郡汝陽県(現在の河南省商水県)の出身[1]孫策が江東を平定した際に袁術の命令で丹陽郡の太守となる[1]。しかし袁胤は孫策配下の徐琨によって丹陽郡から追放され、袁術は丹陽の一揆を率いる祖郎を扇動し、祖郎は山越族を率いて孫策を攻撃するが撃退された[1]199年に袁術が死去すると、袁胤は曹操の追撃を恐れて寿春から逃亡し、黄猗袁燿ら袁術の妻子一族を連れ、袁術の棺を守りながら劉勲の下へ身を寄せた[1]。しかし劉勲の下で食糧が不足して十分な支援を得られず、間もなく劉勲は孫策に攻められて没落し、袁胤らは孫策の庇護下に置かれた[1]。その後の袁胤の行方は不明である[1]

三国志演義』では袁術の甥に血縁関係を変更させられている。第21回で登場し、袁術が死去すると棺と妻子を守りながら逃亡するが曹操配下の徐璆に捕らえられて袁術一族は皆殺しにされ、玉璽も奪われて曹操の物となった。

脚注[編集]

  1. a b c d e f g 小出『三国志武将事典』P113

参考文献[編集]