蓼科神社
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蓼科神社(たてしなじんじゃ)とは、長野県北佐久郡立科町大字芦田に存在する神社である。祭神は高皇産霊神。
概要[編集]
景行天皇の時代に小碓命が東国に遠征した際に奉祀されたのが起源といわれる。元慶2年(878年)、従五位下を朝廷から神社に与えられたのを機に近隣の武将から手厚い信仰を集めるようになった。坂上田村麻呂や平維茂らが社殿を改修したという伝えもある。
やがて信濃国が武田信玄の支配下に入ると、手厚い保護を受けて社運は隆盛した。しかし天正10年(1582年)3月に織田信長による武田征伐で甲斐武田氏が滅亡すると急速に衰退する。寛文年間(1661年から1673年)に今井治兵衛なる者が荒廃していた社殿を修造して再興した。
なお、社名は蓼科神社であるが、これは第2次世界大戦までの名称で、戦後は立科神社に改称されている。ただ、地元の人々からは現在でも蓼科神社で通ることが多い。
本殿・拝殿・幣殿などの社殿のほか、樹齢1500年以上の神代杉が門前にあるなど、社歴の深さを感じさせる建物や杉などがある。